6日の品川区の発表(しながわ写真ニュース)によると、東京都品川区は、全国で初めての日本手話を中心とした私立ろう学校を、同区の校舎に開設することを発表したそうだ。これにより、今までの日本語を中心としたろう教育だけでなく、手話の文化と日本語文化を合わせたバイリンガル教育も選択できるようになる。
東京都に認可申請をするのはNPO法人の「龍の子学園」で、同校は1999年から日本手話でろう教育を行うフリースクールを運営してきた。今回の申請で念願の学校法人化を果たす形になる。
ろう学校の学習指導要領では、「補聴器などの利用により、児童の保有する聴覚を最大限に活用」するように定められており、手話による教育は認められていないが、今年の3月に東京都は手話教育ができる教育特区に認定されている。これを受け私立学校設立の準備を進めていた同校は、品川区から来春空き校舎となる八潮北小学校の校舎などを借り受けることとなった。10月には学校法人明晴学園として都に認可申請を行い、来年4月の開校を予定している。
手話教育をめぐる議論
ろう学校で手話による教育が行われていないことを知らなかった方もいるかと思われるが、今回認可されることになるバイリンガル教育とはどのようなものかご存知だろうか。
そもそも、ろう教育においては「口話法」と「手話法」の対立が問題となっていた。「口話法」とは、読唇術がもととなった方法で、ろう児に発音の仕方と相手の口の形を読み取る方法を伝えることで、日本語を教える教育方法を指す。「手話法」とは、ろう児が成長する過程で自然に習得する日本手話を用いた教育方法のことをいう。
日本のろう教育では口話法が採用されているが、聴力を失った難聴者には有効だとしても、もともと聴力を持たないろう者には不適切なのではないか、という考えがある。ろう者の用いる手話は日本語とは別の文法体系を持っているために、日本語や日本語対応手話(日本語の文法に当てはめた手話)で教えられても、ろう児には理解がしづらく、学習や言語の発達に遅れが見られることがあるというのだ。
特に、「ろう文化宣言」(※)以降、ろう児に無理に日本語を押しつけるのではなく、話し言葉としての手話と、聴者とコミュニケーションをとるための書記日本語を並列して教える「バイリンガル教育」を求める声が聞かれるようになった。最近では北海道の札幌ろう学校で、手話法での教育を求める保護者が、教師の体罰を理由に担任交代をせまったという5日の読売新聞の報道もあったほどだ。
今回の認可によって、ろう者の教育機会が充実するとともに、手話とその文化に対する理解が広まることに期待したい。
※…2000年に木村晴美と市田泰弘によって提唱された、手話は障害者の言語ではなく、日本手話(JSL)という言語を扱う言語的少数者なのだという見方。
もっともこの世界のことはちょっと覗いたくらいではわからないんで、こういう反応も無理もないのかもしれん。
バイリンガル教育(バイリンガルろう教育)って、95年の「ろう文化宣言」の後、喧伝された方法ですが、本音は手話のモノリンガル教育ですぜ。
連中は表にはあまり出さないものの原理主義的な「ろう文化」礼賛論者で、日本語対応手話を話す人々や人工内耳の子供たちを徹底的に排撃しています。
聴覚を否定する彼らの教育法で実際に書記日本語の力がついた子供がいたら、連れてきて見せてほしいですな。教育現場では彼らへの賛同が全くといっていいほどないと思いますが、これにはちゃんと理由があります。
例 筑波技術大学(盲、聾学生を対象とする日本唯一の国立大学)のホームページに学長ブログ(学長は聴覚障害児教育の権威。大変オーソドックスで各方面から信頼厚い人物。)があるので、1年分くらい遡って読んでみるのをおすすめします。
なるほど・・・。サンクス。
原理主義者がこんなところにもはびこっているんですね。
様々な教育の選択肢があることが大切だと思っています。
> 連中は表にはあまり出さないものの原理主義的な「ろう文化」礼賛論者で、日本語対応>手話を話す人々や人工内耳の子供たちを徹底的に排撃しています。
この上記発言については、私もバイリンガル教育云々という人間達と付き合ってきましたのでよく分かります。彼らがとる態度は教育に携わる者の態度ではない事はあきらかです。
なぜああなってしまったのか。
それはリーダー格の人間が、若い人たちの”被害者意識”を利用しているからと見ています。リーダーが若い人たちの被害者意識を刺激し、自分が攻撃したい相手を自分で攻撃せず、若い人たちに攻撃させています。
まったくひどい話です。
若いろう者の活動者達の心にあるのは自己承認欲求です。
「ろう文化や日本手話を主張する”自分”を認めてくれ」という欲求がある。
なのでその欲求が満たされると彼らは活動をやめてしまいます。
子供のことは二の次なんです。それほど使命感はない。
また日本語対応手話や人工内耳を攻撃する話ですが、こういった姿勢をとる事が、あのカルト的ろう者集団の中で仲間として承認されるためのステレオタイプになっています。
必要以上に攻撃する理由はそこにあります。
そういう態度をとらねばならないという空気をリーダーが作ったのです。
こうした”ろう者として啖呵を切る、聴者的なものを全否定する”スタイルは、若いろう者にとっては麻薬的な魅力があります。
ろう者の場合、言葉は悪いですが、おのずとカルトかしやすい状況にあります。
・情報の遮断(己ずと遮断されている)
・社会への恨みと敵意、社会からの迫害意識(言葉を奪われた!)
・リーダーの言うことが現実、自分で考えない。
・世界を単純化し、二分化する(ろうvs聴など)
これはカルト団体の特徴ですが、当てはまっているように思います。
※しかし、この異常さに気がついた賢いろう者はグループから抜けています。
> 聴覚を否定する彼らの教育法で実際に書記日本語の力がついた子供がいたら連れてきて
>見せてほしいですな。教育現場では彼らへの賛同が全くといっていいほどないと思いま>>すが、これにはちゃんと理由があります。
これは現場でバイリンガル教育ができる環境がないからです。
私がみてきた子で聴覚活用は殆どできませんが、かなりの学力があるという子がいます。教科学習も日本語も手話で教えてきました。
今後こういう例は実践者がでてくれば必ずでてきますよ。
でもバイリンガル教育が全てだとは思いません。
様々な教育の選択肢があることが大切だと思っています。
結局は方法ではなく、子供達と向かい合う人の資質なのかなと思っています。