都下の某市の朝の風景―。
各家から子どもたちが元気に「行ってきまーす」。しかしそれぞれ家を出る時間も、家を出て向かう方角も違っている。ある子は駅に向かい、電車に乗って隣駅にある小学校へ。駅構内ですれ違った子は、逆に2つ向こうの駅から通ってきている。
公立小学校で学校選択制が進んでいる地域で見られる光景である。一昔前は当たり前のように見られた「集団登校」だが、さまざまな要因が絡む中で、少しずつ「バラバラ登校」が増えてきているようだ。
集団登校をめぐる最近の事情
「集団登校」についてはっきりとした全国的な統計資料などはないようだ。もともとは交通安全を目的として地域の自治会や子ども会の単位を中心としてつくられていたようだが、現在、特に都市部では実施しているところの方が少ないと言われている。集団登校をめぐる課題として、近年では、「集団登校の列に自動車が突っ込んだ事故」や「児童連れ去り事件」等が記憶に新しい。
このような事件・事故が起きると、「登下校時の安全確保―時代はスクールタクシー!?」にもあったように、子どもたちの安全を守るためという観点から登下校のあり方が論じられがちだが、「集団登校」に関してはもともと「異学年交流」や「地域コミュニティにおける子育て」といった教育的意義が語られることも多かった。
班長さんが先頭で、班員は低学年から順に並び、副班長がシンガリを務める
という形態が、地域の子ども社会の基盤をつくり高学年の子どもの責任感を強めていたことは想像に難くない。
集団登校が少なくなってきた背景
「集団登校」が少なくなってきた背景には冒頭の学校選択制だけでなく、
- 少子化の影響で地域によっては班が編成できない
- 道路事情によって集団での歩行が危険
- 集団登校に適応できない子どもが増えてきた
- 親の間で集団登校の出発時間などにクレームがつくことがある
など、様々な事情があるようだ。
ノスタルジーで自分たちの時代の「集団登校」を語ることも楽しいが、日本の教育的文化の土壌が一つ壊れつつある現状には目を向けておきたいとも思う。
集団登校はあった方がいいか、ない方がいいか
いま改めて「集団登校」という言葉を見ると、古臭い言葉に思えるかもしれない。教育的に考えて必要なのか、なくてもよいのか、なかなか二者択一に論じられるものでもないが、ちょっと考えてみてもよいのではないだろうか。
例えば私学に通う子には「集団登校」はないが、その分、別の意味での教育的価値があるとも言えるだろう。安全面から考えて「集団登校」「集団下校」が成り立たない現状は、親や教師の負担が増えているのかもしれない。地域の教育力、地域の子ども同士の交流の有無の功罪についても改めて見直してみる時期なのかもしれない。
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最近では「異学年交流」として、ランチルームと称する空き教室で、全学年が給食をとることもあるようです。一人っ子が多い現在、異学年交流は是非あってほしいです。
登校について問題が起きたときには一度、親、教師が一列になって歩いてみるというのはどうでしょうか。もちろん喋らない、一定の間隔を保って歩く等規律を守ってです。安全面はもちろんですが、子供のストレスの面でも考えてみるべきだと思います。