年末が近づいてくると、どこかで耳にするあの調べ…。数あるクラシック曲の中でも群を抜いて有名であり、日本では第九(だいく)と呼ばれて親しまれているベートーヴェンの「交響曲第9番」。最後の第4楽章の合唱部分は「歓喜の歌」としても知られ、映画やCMなどでもよく使われています(某超人気アニメのBGMと言えばわかりやすいかも?)。
その第九の日本での公演回数が、年末だけでなんと150回をも超えるということをご存知でしょうか?
12月に入ると各地で続々と開催される第九のコンサート。今年だけで言うと、最も多い日で1日に23回もの公演があるそうですから、その圧倒的な人気の程が伺えます。最近では「サントリー1万人の第九」のような壮大!? なイベントをはじめ、聴く側から歌う側になって楽しむ市民参加方のコンサートも一般的になっているようです。
このように世界でもダントツの第九公演回数を誇る日本。その反面、最大級編成のオーケストラに加え、独唱者や合唱団も必要となることから、この1時間を超える長大な交響曲がヨーロッパで演奏される機会は決して多くはないようです。
ではなぜこのように日本で、そして年末に多く第九が演奏されるようになったのでしょうか。これには諸説あるようです。
■N響に最も影響を与えた偉大な指揮者
日本に第九を普及させたのはローゼンストックというユダヤ人指揮者だと言われています。彼は昭和11年(1936年)に新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の常任指揮者に就任したのち、約40年間に渡ってオーケストラで活躍、その基礎を作り上げた人物です。
もともと彼の母国ドイツでは、第九を大晦日に演奏する習慣がありました。第九が新しいことのはじまりを意味する交響曲だと考えられていたからです。それを彼が日本で紹介したのがきっかけで、今日のような「第九=年末」という認識が広まったということです。
■出陣学徒へのレクイエム
昭和18年(1943年)、東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)にてある音楽会が催されました。太平洋戦争が悪化する中で、遂に徴兵令が下された音楽学徒たちを壮行するための会でした。彼らは入営期限を間近に控えた12月初旬、この音楽会で第九の第4楽章を演奏したそうです。
彼らの多くが帰らぬ人となりましたが、終戦後に、残った生還者たちで別れの際に演奏した第九を再演しようということになったそうです。戦場に散った若き音楽学徒へのレクイエムとして…。それが年末の第九の起源だといわれています。
■お餅代を稼ぐため!?
こんなユニークな説もあります。
戦後まだまもない時期は日本のオーケストラの収入は少なく、正月のお餅代も稼げないような貧窮ぶりだったそうです。そこであるオーケストラが試しにドイツの風習を真似てみようと第九を演奏してみました。もともと第九は人気があったこと、合唱団員の友人、家族などがコンサートを聴きに来ることから集客の見込みがあったためです。その読みが見事に当たり、大ヒット! そして年末の第九が定例化し、次第に他の交響楽団でも演奏するようになっていったとか。
もちろんどの説が正しいなんてことは誰にもわかりません。全て事実かもしれませんし、そうでないかもしれません。もっと他に新しい真実が存在するのかもしれません。ですがそれよりも、このように多くのエピソードがあるということが、日本で「第九」という音楽文化がしっかりと根付いていることを確かに物語ってくれています。
だいぶ強引にこじつけてみると、あの壮大な盛り上がりを見せる最後の合唱はいかにも日本の大晦日を迎えるにふさわしいと言えますし、平和や友情を賛美する歌詞は情に厚い日本人の気質に合っていたのでは…!?
一度合唱に参加すると病みつきになるという第九。来年2月には、第九を歌う市民合唱団をテーマにした「歓喜の歌」という邦画も公開されるようです。少しでも興味を持たれた方は、ぜひとも次回のチャンス、2008年の締め括りに挑戦なさってみてはどうでしょうか!
- 発表!2007年「第九」ランキンング(WEBぶらあぼ)
http://www.mde.co.jp/doc.id?id=20071113153900429 - 2002 小澤征爾 歓喜の歌(ユニバーサル・クラシックス)
http://www.universal-music.co.jp/classics/artist/ozawa/uccp9424/ozawano9.html
![](/common/img/banner/merumaga_w655h70.png)
第九はある程度人数と技術をそろえないと公演が難しそうですね。