![子どもたちに「7つの習慣」を―リーダーシップ教育が生み出した奇跡](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/P/4906638767.01.MZZZZZZZ.jpg)
卒業式、終業式が終われば、いよいよ新年度。新学期に欠かせないことの1つに「係り・当番決め」もありますが、「小学校に『学級委員長』不在の鳥取県、20年ぶり復活へ」(2月8日朝日新聞)という記事をご存知でしょうか。
このニュースは、さまざまなメディア、個人のブログ等で取り上げられ、波紋をよんでいます。「平等」という観点から学級委員長を置かない県があるとは知らなかったという方もいらっしゃり、設置の有無について賛否両論言われています。
Yahoo!JAPANが行なった意識調査では、約9割が学級委員長設置に賛成という結果が出ています。これは9日の朝日新聞の記事でも伝えられていますが、鳥取県では、子どもたちのリーダーシップの育成が必要であると認識しているものの、学級委員長の設置が必要とは限らないという声が今でも多いとのことです。
リーダーシップのある子どもに育てるため、子どもたちには何が必要なのでしょうか…。
さいたま市の開智学園総合部(小学校)では、子どもたちのリーダーシップ育成のため、学年ではなく、異学年集団の形態がとられています。もちろん、教科学習は学年単位となりますが、朝の会、昼食、掃除、小旅行などは小1〜小4、小5〜中2の異学年の子どもたちで編成される「チーム」で行われます。そのため、チームの中にいる最高学年の子どもがおのずとリーダーシップをとるようになるそうです。
通常の学級では学級委員長を決めると、たいてい一定の子どもが選ばれ、固定化してしまいがちですが、異学年集団で生活することで、最高学年の子ども一人一人にリーダーとなる機会を与えるという考え方のようです。このシステムであれば、「学級委員長になれなかった子が傷つく」「劣等感が生じる」等の問題も少なくできるかもしれません。
「平等」という観点では、教育現場では運動会の徒競走の順位もしばしば問題にあがります。インターネットで「徒競走」「順位」と打ち込むと、たくさんの事例がヒットし、全国各地で、さまざまな徒競走の形態があることがわかります。
今回の鳥取県では、コース内に近道を作ってゴール付近で接戦にするようにしているそうですが、他県では子どものタイムに応じて走る組み合わせを調整している学校もあるようです。また、順位はつけず走って終わりという場合もあり、幼稚園では、みんなで足並み揃えてゴールということも行なわれているようです。最近では、保護者からのクレーム対応として順位づけを工夫している学校もあるとか…。
今回、学級委員長を復活させるのは、鳥取県で1校のみ。今後、その効果とこれに続く学校が出てくるのか、注目されます。
- 教育ルネサンス エリート養成(13)学年超え「ガキ大将作り」(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20060419us41.htm - シリーズ・戦後60年 再考 来た道行く道7
不登校 平等と競争のはざまで―連載(西日本新聞) - http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/sengo7/07.html
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一度、小さな先生という名前で立候補のみで募ったところ、多くの子が応募してきました。この気持ちがリーダーに育つ要素だと感じました。
ところで、小さな先生が落書きで「・ね・・・・・」と書かれたときには、保護者から「小さな先生だから嫉まれて書かれたのではないですか」というクレームが来ました。曖昧な返事をしましたが、上に立つとはそういうことも含まれるのではと思いました。
だったら組合も書記長とか委員長とか役職置かなきゃいいのにと思いますね。完全フラットな組織にして問題なく運営できるかどうか自ら示して見せればいい。
しかし先生の独断で選ぶわけでもないのに、間接民主主義の根幹である選挙で選ばれたリーダーを平等でないと否定するというのはどういう政治思想なんでしょうか?どんなに公正な手続きを経たとしても、やはり機会の平等ではなく結果の平等を重視せよということなんでしょうか。