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医者にかかったとき、高圧的に「あれをしなさい」、「これをしなさい」という指示だけを与える人がいます。
こちらが質問しようとすると、嫌そうな顔をします。
患者の立場からすれば、高圧的で、威圧的な感じを受けます。
一方、患者に困ったことはないかを尋ね、「どうしたいですか?」と患者の思いや願いを引き出そうとする医者もいます。
質問をすると、丁寧に答えてくれます。
患者の立場からすれば、進んで治療法を行う気持ちになります。
前者と後者の治療法が同じだったとしても、患者の主体性はまったく違ってきます。
これは、教育の場でも同じことが言えます。
子ども本人が「動きたい」と思えるように導くことで、子どもの主体性を引き出すことができます。言葉をかえれば、「自律的な行動」に導くことができるのです。
自律的な行動に導くには、相手の立場に立って、頑張ろうとする気持ちを励ますことが大切になります。
例えば、なかなか定められた課題を出さない子がいるとしましょう。
夏休みの宿題でもよいし、何らかのレポートでもよいです。その子だけなかなか提出しません。「早く出しなさい」と指示しても、「忘れました」の繰り返しです。
「○日までに出しなさい。出さないと、成績が悪くなりますよ。」
そうやって脅しても、まったく出しません。
それどころか、誰が聞いても反論できないような言い訳を言います。
「先生、体調が悪くてできなかったのです。」
「先生、資料をいくつか無くして、今探しているところです。」
そうやってまったく提出しないのです。
統制的に、圧力をかけて子どもを動かそうとしても、らちがあきません。
こういったとき、教育行為の方向性を変えていく必要があります。
つまり、
「自律的な行動に導く」方向へ、教育行為をシフトチェンジしなくてはならないのです。
まず、その子がなぜ提出しないのか、それを理解しようとします。
「体調が悪くてできなかったのか。それは仕方ないね。」
このようにいったん子どもの主張を認めるのです。
そして、責任を促します。
「でも、この課題は出さないといけないんだよ。そう決められているからね。責任を果たしてほしい。」
そして、励まします。
「A君は、1学期の宿題もすごく頑張っていたし、授業も一生懸命やっていたし、きっと、この課題もできると思うよ。」
さらに、子どもに、今後の行動を選択させるように促します。
「それで、いつぐらいに出せそうかな?」
「学校でやるのがよいかな?家でやるのがよいかな?」
このように、選択権を子どもに与えるのです。
すると、子どもは、「先生は自分を理解してくれた」と感じ、しかも、「励ましてくれた」と感じ、「自分の選択による自律性を尊重してくれた」と感じます。
その結果、自分から進んで行動しようという思いが生まれるのです。
実際このときは、何と、その日の放課後に、一気に大量の課題をやり遂げて、私のところへ提出に来ました。
「早く出しなさい」では、まったく動かなかった子が、その子の事情に耳を傾け、その子自身に、今後の行動を決めさせるだけで、あっという間に課題を終わらせて来たのです。
まさに、自律的な行動に導く教育が、功を奏した例です。
もちろん、これは、何でも子どもの言うことを認めることは意味しません。
制限を課し、子どもの言うことを認めない場合も、当然あり得ます。
ここで言いたいのは、
言い方一つで、子どもの思いがまったく違ってくることなのです。
制限を課したり、責任を求めたりするのは、とても大切なことです。
制限を課しつつ、さらに責任を求めながら、しかも、無理な圧力をかけることなく、子どもを自律的な行動に導くことが「可能」なのです。
もちろん、これは、相当にレベルの高い指導です。
例えば、イタズラばかりやる子は、統制を強めるのは仕方ない面もあります。
ですが、その統制を強めるのも、教師の言葉次第なのです。
「君はいつもイタズラばかりで、全然ダメだ。次にやったらきつく叱るからね」といった言葉と、
「教室で生活するにはルールを守る責任があるのだよ。君はきちんと物事を理解できるから、ルールを理解したと思う。もしルールを破ったら、今度は迷惑をかけた人に謝るという責任を果たさなくてはならない。君は物事の善悪をきちんと区別できる人だから、責任を果たしてほしい」
という言葉をかけるのでは、その子の感じる印象が違うのです。
きっと、後者のような言葉かけだと、無理な圧力を感じることはないはずです。
これなら、子どもは、教師の言葉に、服従したり反抗したりといった気持ちになりません。しかも、自律的な行動に導く言葉かけになっているのです。