小学校で英語を教える先生方へ
小学校外国語活動が必修化されて半年あまり。これまでおじゃました学校では、さまざまな工夫を凝らした英語の授業が繰り広げられていました。同時に、「小学生への英語の学習は、本当に有効なのでしょうか」と、いまだ疑問を抱かれている先生の声もたくさん耳にしてきました。
私は、小学生の段階で英語教育を導入することに賛成しています。また、私なりに考えた方法と教材で英語の授業を15年間実践しています。そこで、この疑問に対する私なりの考えを、英語教育のありかたそのものに対する提言と併せてご紹介したいと思います。
教えること教えないこと
I play the piano.
この文を教材にして初心者に英語を教えるとなったら、みなさんはどういったことを教えますか。「I」が大文字であることでしょうか。「piano」には、定冠詞「the」をつけることでしょうか。または「piano」のアクセントが、「a」にくることでしょうか? 人称と三単現のsの関係にも、発展できそうですね。でも私が教えるのは下のふたつ。質問と、それに続く答えだけです。
質問:「私は」は英語で「I」、「ピアノを」は「☆ piano」、「演奏する」は「play」です。この3つの英単語を使って、「私はピアノを演奏する。」という英文を作ってみましょう。
答え:I play ☆ piano. 日本語では「わたしは」→「ピアノを」→「演奏する」ですが、英語の語順は「私は」→「演奏する」→「ピアノを」になります。
私の自作教材では、上記のように冠詞「the」は、☆マークに変えてあります。これについては、子どもたちに次のような説明を行います。
☆マークには、英単語が入ります。完璧な英文を作るためには、この☆マークは大切です。でも、☆マークがなくても通じます。だから、今のところは飛ばして下さい。もう少し学習が進んだら、あらためて勉強することにしましょう。
加えて、こんなことも伝えます。
ただし、先生は☆マークの部分も発音しますよ。もし、なんて言ってるか分かったらまねしてみてくださいね。
まじめな子ほど損をする
子どもは、まじめであればあるほど、先生が教えたことを全て吸収しようとするものです。彼らにとって先生が教えることは、「大切なこと」に決まっているからです。もし仮に先生が、先ほどの英文を使って10個の知識を教えたとしたら、ほとんどの子どもたちはその10個を忠実に身につけようと努力することでしょう。子どもたちは、それが英語の達人になる近道だと信じているからです。
けれども、こういった大量の知識注入は、逆に「どの知識もまちがえてはいけない。まちがえると通じないに違いない」という学習者の恐怖心をあおる結果を生みます。初心者である学習者は、与えられる知識の軽重を容易に判別できません。そのため、学習内容全てを「まちがえてはならない重要な知識」と錯覚し、その完全習得に努めます。努力によって得る英語知識が、子どもたちの表現の助けになるのではなく、子どもたちから表現の積極性を奪い取ってしまうのです。
私は英語を教える側が、「意思疎通に重要な要因かどうか」という視点で、教える知識を「フィルターにかける」ことが非常に重要であると考えています。頻繁に英文に出現する知識、あるいは単純な英文に出てくる知識が、必ずしも初期の学習者の意思疎通に必要な知識であるとは限りません。
「I play the piano.」という文を「初心者が、意思疎通のためにまず獲得しなければならない内容は何か」というフィルターにかけ、私なりに導き出した結論が、上のふたつだったわけです。
意図的不完全英語教育
冠詞や三単現のs、助動詞doesなどを☆マークにした文を使って学習を続けていくうち、子どもたちに「英語の文の中には、今すぐ知っておかなくてはならないことがらと、後まわしにしても差し支えのないことがらがある」という意識が芽生えます。それは、「大事なことが英文の中に数珠繋ぎに入っている」のではなく、「とびとびにある」という意識、言い換えれば「すき間がある」という感覚です。次には、「じゃあ、そのすき間は、いったい何だろう。」と、能動的に英語に向かおうとする姿勢が育まれます。
文法だけに限らず、発音、語彙までも含めて、学習者の能力に見合った内容を選別し、わざとすき間のある英語を教える。学習者の能力の伸長に合わせて、すき間に何が入って、それが使いこなせればどのように表現が精緻になっていくかを発見する。この一連の学習を、私は「意図的不完全英語教育」と名付け、そのたたき台となるプランを作成し、勤務校である四條畷学園小学校で実践しています。
まず小学生のうちに
教えるべき内容ががっちりと構築され、それに合わせた学習方法や評価が綿密に練られた中学以降の英語教育では、この考え方を下敷きにした実践を展開するのはなかなか難しいと思います。私は、その前の時期、つまり小学校高学年のうちに、この「すき間がある」という意識を定着させてしまうことが大切なのではないか、と考えています。
小学校卒業前には、子どもたちに「卒業していくきみたちへ」という読み物を配布します。そこには、
中学にはいると、☆マークになっていたことが何かを学びます。それらの言葉はどのような役目を持つのでしょう。どんなふうに表現に幅をもたらせてくれるのでしょうか。お楽しみに。
という具合に、小学校から中学校への学習のつながりが記してあります。学習意欲の高い子どもは、中学以降の学習も「意思疎通に不可欠な内容」と「正確な英文作りに必要な内容」を自ら選別しようと試みます。
「聞き取れないところがあるのは当然。聞き取れたところを脳みそでつなぎ合わせて、意味を理解するのが英語の理解なのだ」だとか、「とりあえず大切なことをつなぎ合わせて、意思を疎通しよう。」だとか、「すき間の少ない人が英語の上手な人なのだ。」といった考え方を、まず子どもたちの英語学習に対する意識の根っこに据え付けてしまうこと。これが、日本人の英語運用能力の底上げにとても大切なのではないか、と私は考えています。
とれなければならないという目標があります。
私たち外国語を得意としない大人も社会では必ず外国人に接しないといけない時代です。
これからの子供達の為を思っての、高橋先生の講演活動等は、閉鎖しがちな小学校教育現場での改革、そして社会的貢献にとって、非常に意味があると感じています。
小学生は大人と違い日本語力が足りません。
小学生の学年ごとの国語の準拠(学力)に添った授業計画が必要と思われます。
5,6年生で年間35単位時間(月3単位時間程度)での授業計画は未だ完成されていないと思います。
その先駆者としても、小学校の先生方が外国語教育の順番を間違えない手順、プランニングも含めて期待しています。
そして、圧倒的に低い日本人の英語運営能力にも問題を感じていました。これは僕の個人的な感覚ですが、確かに今の日本の英語教育では、文法的に完璧でないと使えないというような錯覚が学生に覆いかぶさっているように思います。英語の運営能力を養う地盤として、先生が実践されている通り、英語は算数などと違って言葉なんだ、というような感覚が必要ですね。
今頃英語がペラペラだったかも…と思うと残念でなりません。
これからの未来を担う子供たちが、高橋先生の授業で、外国でも堂々と発言できるようになる事を願ってやみません。
日本人は中学高校と6年間、あるいはそれ以上長く英語を学習しておきながら、なぜ悲しいほど英語が話せないのか。一体、その教育(学習)方法の何が間違っていて、どうすればもっと生きた英語がマスターできるのか。これは多くの人が疑問に思いつつ永年解決できなかった、そして半ば諦めかけていたテーマだったように思います。
高橋さんの画期的な着眼点による具体的な英語教育メソッドが、これからの日本の子供たちにとって一条の光となることは間違いないでしょう。
私も英語は好きですが、しゃべることはできません。身振り手振りで何となくのニュアンス・・・
みたいな感じで今まできましたが、やはり子どもに教えるとなるとそうはいきません。
でも高橋先生のおっしゃる通り、Iplay☆piano 方式だと
教える方も教えられる子どもたちも、もっと身近に楽しく英語を学んでいけるような気がします。
すき間を空けて教えることがいかに大切なことか、そして英語がこれからの子どもたちにとって
もっと身近な言語になるように教育現場の改革を期待したいと思います。
In this sentence “the” is not key to the meaning. In fact, native speakers sometimes omit“the”entirely in everyday speech. “I play piano.”
数学の場合、5 x 5 の前に 5 + 5 を教えなくてはなりません。これと比べて英語で苦しめる難問が少し違うと思います。
It seems to me that teaching English is much more an art than a science. Following Mr. Takahashi's ideads will reduce unnecessary grammatical rules, and give students the freedom to enjoy the language, and the confidence to master it.
That reminds of an old saying: 好きこそ物の上手なれ。
「ママ?」
「ママは?」
「ママどこ?」
「ママはどこ?」
「ママはどこ行っちゃったの?」
と年齢と共に変わっていきます。
高橋先生の挙げた例で言えば
"☆ ☆ ☆ piano."
"I ☆ ☆ piano."
"I play ☆ piano."
"I play the piano."
といったところでしょうか。
ちなみに私は数学が得意でした。
数学T→基礎解析→代数幾何→微分積分→確率・統計と学びましたが、数学Tをやっていたときより、全てを習ってからの方が数学Tの成績が上がりました。
これは、ある程度わかったら次にすっ飛ばす事で、「ある程度=骨格」「次の単元=肉付け」になっていたからだと思われます。
日本史にしてみてもまずはある程度流れを学んでしまってから、それぞれの時代に何がどうして起こったか等を肉付けした方が理解も覚えるのも楽でした。
まとめますと、私から見ればこの「意図的不完全」と言うのは「骨格」を作って後から「肉付け」をすればよいという方法で、それは英語に限らないと考えます。
高橋氏の提言される「意図的不完全英語教育」が,今後どのように広がっていくのか非常に楽しみです。
言語活動における領域を「聞く」「話す」「読む」「書く」の4領域から考えたとき,私は「聞く」領域がもっとも初期段階で必要になってくると思います。もちろん「聞く」領域の指導はこれだけで独立したものではなく,「話す」領域と対になっている場合が往々にしてあります。しかし指導方法としては「聞く」だけに特化した方法が必要になってくると考えます。そういう点では「意図的不完全英語教育」の中にある「○○ダイアリー」という教材は非常に完成度の高い教材だと思います。「相手が話していることがわかる」ことが,より英語へのモチベーションをあげていくのではないでしょうか。
高橋先生の考えた英語の学習は子どもたちはとにかく英語の授業を楽しんでいます。まず、英語を好きになっています。それが子どもたちにとって1番大切なんだなぁと思っています。