鳥取県八頭町の小学校で授業をさせてもらいました。小さな学校でしたので、全校の子どもと一時間。三年生と一時間。六年生と一時間です。
六年生とは「もう一度読んでみよう」ということで、ごんぎつねを読みました。四年生の教材ですからあれから二年ということになります。教材を配るだけで「懐かしい」「あった、あった」「覚えているよ」の声がこぼれます。教材が子どもの身体の中で目を覚ましたようです。
『ごんぎつね』の五の場面で、兵十と加助がことばを交わし合うところがあります。加助は、兵十に、ごんのつぐないのことを、神様のおめぐみだと言います。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない。神様だ。神様が、おまえがたった一人になったのを、あわれに思わっしゃって、いろいろなものをめぐんでくださるんだよ。」
「そうかなあ。」
「そうだとも。だから、毎日、神様にお礼を言うがいいよ。」
「うん。」
ごんは「へえ、こいつはつまらないな。」と思いました。
「おれが、くりや松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼を言わないで、神様にお礼を言うんじゃあ、おれは、引き合わないなあ。」
わたしは六人の六年生に、兵十の「うん」を読んでもらいました。少しずつその声は違っているので、どのように読めばいいのか、二人組になってたっぷりと語ってもらいました。そして、また、読んでもらいました。
「ううん。」
「うっ、ううん。」
「ううううううん。」
文字に表そうとするとこのようになるでしょうか。
わたしはきょとんとした顔を見せて、六人を見回し、教科書を見て、黒板に「うん。」と書きました。そして、それを指さして、読んでみてくださいと言いました。六人はそれぞれに、ですが、教室の空気をひとつにして、「ううん。」「うっ、ううん。」「ううううううん。」と声を出しました。
もう一度だけ、わたしはきょとんとした顔を見せて、六人を見回し、教科書を見て、黒板の「うん。」を指さしました。そして、「どうぞ。」と言いました。
六人はそれぞれに、そして、先ほどよりももっとぴんとした糸のような空気を作って、「ううん。」「うっ、ううん。」「ううううううん。」と声を出しました。
南吉さんは「ううん。」「うっ、ううん。」「ううううううん。」と書くところを、「うん。」と書いてしまったのですね。
わたしがそう言うと、ひとりの子どもがわたしに声を届けてくれました。
「それは読み方じゃなくて、心の出し方だから。心の動きだから……。」
五人の子どもは「うん、うん」とうなずいています。京都のわたしにはそのあとに続く八頭町のことばがよく分からなかったものですから、わたしも「うん、うん」とうなずくだけでしたが、教室は窓の向こうのなごり雪をとかすような穏やかな空気に包まれていました。後ろの方で、背広姿の校長先生もうんうんとうなずいておられました。
私も温かい空気の流れる学びのある教室をつくっていけるよう子どもたちとともに学んで行きたいと思います。
「うん。」という兵十の たった一言のことば。
この一言にこだわって,子どもたちが1時間真剣に音読したことが伝わってきます。
この1時間の授業で,子どもたちは兵十の心に たっぷりとふれ
読み深めていったのだと感じました。
達富先生が,子どものつぶやきを とてもとても大切にされ授業を進めていかれた教室の空気。
子どもを中心に据えた,温かい授業をぜひ学ばせて頂きたいと存じます。
担任として,羨望や願望,希望だけではなく,子ども達の学びのため,自己研鑽のため,やはり,『教材研究』に勤しまなくてはいけませんね。
でも、こんなふうに子どもたちが真剣に考えて、こんなにすごいことを言えるのは、先生の作り出す教室の雰囲気だとか、手だてだとかすべてが子どもたちの学習につながっているんだろうなと感じました。だから、先生がどれだけきょとんとした顔を見せても子どもたちは真剣に考えた心の出し方を表現したんだろうと思いました。
次に担任をもてる日がくれば、私も子どもたちが真剣に考え、自信をもって発言できる雰囲気をつくれるよう今まで以上に努力したいです。
この小学校での授業は素敵な思い出です。
ぶつぶつとつぶやきながら,ときどき私の顔をのぞきながら,そしてまた教科書を見てぶつぶつ言いながら……。そして,すっと大きな声で私に聞かせてくれる。
まさに,子どもは「今,考えつつあることを,分かりつつあることを,自身のことばで確かめながら考えていく」という瞬間を目の当たりにしました。
「それは読み方じゃなくて、心の出し方だから。心の動きだから……。」
という声は,そのつぶやきが少し大きな声だったものですから,私に届いたんだと思います。
その声を聞き逃さなくてよかったと思いました。
だって,その声は学級のみんなも後ろにおられた校長先生にも届いていたのですから。
私だけが聞いていないなんて,あっていはいけません。
それこそ,今度はお芝居じゃなくて,本気できょとんとしなければなりません。
声を共有できるって素晴らしいことです。
声を共有しようと思っていることは尊いことです。
いつでもいつまでも,子どもの声に包まれた教室ではたらきたいものです。
みなさん,ありがとう。また,声を届けてください。
明日は新たな出会いのある大切な日です。新しい教室で子どもたちの声を共有し合える教室を私も築いていきたいと思います。
金曜日に新たな一年への期待に目を輝かせる子どもたちと出会いました。明日からたくさんの声が響き合う教室を子どもたちと一緒に作っていきたいです。
今年度もご指導よろしくお願いします。
芝居上手は、教師の必要条件で、きょとんとした顔は想像できます。達富さんからは。「先ほどよりもぴんとした意図のような空気」「窓の向こうの雪を溶かすような穏やかな空気」と感じた根拠は? あなただけの感性か、客観的主観なのでしょうか?
文章を読み味わうとは、こういうことなんだろうと思います。
どの言葉に立ち止まるか、どの言葉に立ち止まらせたいか、
教師がどのようにこの教材を読んでいるかによって、子どものつぶやきの捉え方も
変わります。
子どもと一緒に読み味わえる教師になりたいと思います。
「ごんぎつね」は大学生の心に残る授業No.1です。