昨年3月をもって36年間の教師生活に別れを告げた。そのうち校長として12年間学校運営にかかわってきた。教師人生の三分の一が校長であった。
校長の時も、教頭の時も、学級担任の時も、いじめのない学校を経験したことはない。毎年毎年、何らかの形でいじめが起きていたのである。
最近のいじめ事件報道に接するたびに胸が痛む。そして、気になり続けていることがある。
それは、事が起きた時、それがいじめかどうかの判断基準が各人、各教師、各学校、各教育委員会でバラバラな感じがするということである。
私が現役の時も、事が起きた時に、その行為がいじめなのかどうかということで揉めることがたびたびあった。
もう少し様子を見ましょうとか、大したことではないでしょうなどと言っているうちにうやむやになってしまい、そのうち事がたびたび起こり始め、不登校になってしまうような事例も経験した。
なぜそうなってしまったのか、である。
これは、いじめについての具体的なレベル規定が存在せず、各人で判断をしてしまうからである。
地震ではエネルギーの大きさを表すマグニチュードというレベルがある。原子力発電所の事故でもその重大さを表すレベルが存在する。いじめについても、重大さを共通認識できるレベル規定があってもよいと考えるのである。
今から5年前に職員会議に提案して、「いじめ防止、発見、対応システム」の中でレベル規定を明文化した。明文化しないと効果は半減する。
そのレベル規定を示してみる。
レベル1
悪口を言われる、からかわれる、靴を隠されるなどといったことが単発的にみられるレベルレベル2
「くさい」「あっちへ行け」などと言われ仲間外れにされたり、無視されたりするレベルレベル3
レベル2が継続して行われる。また、たたかれる、けられる、ボールを投げつけられる、足を引っ掛けられるなど、身体的苦痛を伴う行為が行われているレベルレベル4
いじめが原因で不登校になる、保護者、または本人がいじめを苦に転校などを検討し始めるレベルレベル5
死を口にし始めたり、自傷行為に及ぶレベル
それぞれのレベルに合わせて、対応も次のように決めた。
レベル1は、学級担任が主で対応する。
レベル2は、学校全体で対応する。レベル2までで食い止める最大の努力を行う。
レベル3に達したら、市教育委員会に報告し、対策を考え対応する。
レベル4、レベル5になったら、学校の教師だけでは対応できない。市教育委員会、各専門機関と連携して対応する。
レベル規定を設けておれば、各個人の考えで対応することも少なくなる。レベル1であってもいじめであるという認識で、学校全体が共同歩調をとれるのである。
いじめ事件で報道される学校には、おそらくこのようなレベル規定がないと思われる。いじめによって自殺まで行ってしまう悲しい事件の責任は、多くの場合学校にあると考えた方が間違いは少ない。それだけ、学校の責任は重いのである。
私は、“いじめは教師だけが解決できる”と考え、対応システムを明文化したのである。実際、何十という事案に対応してきたが、転校や自殺という深刻な事態が発生したケースはなかった。
今振り返るに、いじめはどの学校でも大なり小なり必ず起きている。それを決して見逃さず全力で対応して解決し、解決した後も追跡調査を3日、3週間、3か月、3年というスパンで実施するようにしたことが功を奏してきたのだと思う。
これから先も、いじめに関する報道は繰り返されるはずである。少しでも現場の先生方に役に立つ情報を提供したいと思って述べてみた。もちろん、私が示したレベル規定がベストということではない。その学校に相応したものをみんなで協議し、よりよいものをつくればよいのである。その際の参考になれば幸いである。
具体的には、
1「いじめについての具体的なレベル」を規定すること。
2レベル規定を設けておれば、各個人の考えで対応することも少なくなるということ。
です。
このような学校内の仕組みを作ろうとしても、
「わたしはうまく対応できているから大丈夫」
と考えている教師が存在します。
だから、先生方お一人お一人はもの凄く頑張っているのに成果が上がらないという現実があるのですね。
体罰問題も同様だと考えます。
体罰の規定があいまいです。
だから、テレビ番組などで体罰問題の議論を見ても、かみあっていないと感じることがありました。