1.討論の授業を実現するために
私がTOSS(当時は法則化サークル)で学び始めたとき、自分の教室で討論の授業をするのが夢であった。当時の授業を振り返ると、上手に喋る数人の子、多い時でも学級の半分ぐらいの子が気の利いた意見を何度か発表するだけで、討論の授業とはほど遠いものであった。しかし、そんな私にもここ数年は、討論と呼んでも大丈夫だろうと思える授業ができるようになってきた。もちろん、質を問われればまだまだ未熟であるが、子どもたちが1時間、長いときには2時間と、意見を出し合い続ける授業をすることができるようになったのだ。
毎年、討論を成立させるためにさまざまな手立てを打ってきたが、やはり、討論の授業は日常の授業の総合力であることが私にも年々わかってきた。
そこで私が感じているのが、
討論の授業だけを目指していたのでは討論の授業はできない。
ということである。
討論の授業の本道については様々な文献が世に出ている。TOSS代表の向山洋一氏の著書をはじめとする必読文献は多数存在する。私も今も机上に置いて何度も読み返している。
ここでは、私が討論の授業を実現するために並行して取り組んだ、討論につなげるための「サイドメニュー」について述べたいと思う。
2.音楽の授業から討論の授業へ
教室で、指名なし発表と同じように、1人ずつ前に出て「歌合戦」をさせている。子どもたちは順番を取り合うようにして「僕に歌わせて」「次は私に歌わせて」と、どんどんと前に出てくる。そんな子どもたちに、私は「譲ってあげるのですよ」と声をかける。
合唱曲の時は高音と低音の2人ずつで歌わせている。時間がないときは4人ずつや6人ずつになることもある。とにかく、男子も女子も、やんちゃな子もおとなしい子も関係なく、全員が順番を取り合うようにして歌っている。
歌い方もさまざまで、演歌のように握り拳でリズムをとって歌う子やメロディに合わせて体を揺らしながら歌う子など、いろいろな子がいる。
歌は音楽で学習した歌や合唱曲等から選んでいる。歌の長さにもよるが、多くの場合は、最初から最後まで歌わせるのではなく適当な長さで切っている。
この「歌合戦」は、どの学年を担任した時でも実践しているが、どの子も最初から1人で歌えるわけではない。スモールステップというわけではないが、最初は4人ぐらいずつ歌わせていく。歌の上手下手は一切問わない。とにかく前に出てきて歌ったということをほめ続ける。音程がとれていなくても、声が小さくても、何も言わない。とにかくほめる。
そして、少しずつ経験を積み上げていき、みんなが楽しく出番を取り合う「歌合戦」をつくっていく。勤務校の公開発表で、研究授業が始まる前の待ち時間に大勢の参観者の前でいつもの「歌合戦」を繰り広げたこともあった。
3.図工の授業から討論の授業へ
もう1つのサイドメニューは、図工の「鑑賞」の授業である。鑑賞と言うよりはスピーチに近い。高学年の子どもの中には、図工の時間に教師が製作中の作品を見ようとすると慌てて画用紙を裏返して、自分の作品を隠そうとする子がいる。このような状況ではやはり討論の授業はできないと私は感じる。
そこで私は、図工の時間でも子どもの発言力(発信力)を鍛えるために、作品を見せながらのスピーチをさせてきた。
子どもが作品を見せられないのは発信力の弱さだけではない。自分の作品に自信がなく、満足できていないのである。その部分については酒井式描画法という優れた型があるがここでは省略する。
私は図工の鑑賞の時間に、子どもに自分の作品を持たせ、前に出てスピーチをさせてきた。自分の作品のどこかを指しながら、「目の部分の色を工夫しました」「この部分が細かくて難しかったです」など、自分の作品の解説をさせるのである。
これは完成した作品でなくてもかまわない。「今日はほっぺを中心に丸く掘りました。次回は…」など、途中経過でも十分である。
音楽や図工の授業で「発信力・表現力」をつけ、討論につなげるためのメニューを紹介した。もちろん、討論に必要な力は表現力だけではない。しかし、表現力という視点から考えると、討論で身につけた表現力は討論の時間だけで終わるものでもない。様々な場面で身につけた表現力が討論の授業に反映されるのである。
その秘密がよくわかりました。