1 「生きる力を育てる」ことと「生きていける学級」づくり
見通しをもつことに苦手のある子どもたち
見通しがもてなかったり、何かができなかったり、簡単なことがわからなかったり、家庭の準備力が不十分で提出物を出せなかったり。
そうした子どもの背景には、多くの場合、本人の努力や気持ちに関わりがない原因が考えられます。その子どもたちにとって、できないことや失敗したことを自分の努力や精神力、あるいは親のしつけ等で非難されることはつらいことです。たとえ、1つのことができたとしても、できないことがあったときに非難されたり、孤独になったりすることは、大きなプレッシャーになります。そしていつも怯えて過ごさなければなりません。
「生きていける学級」づくりを優先
弱いものに強くなれといったり、病弱の子どもに健康になれといったり。
「生き抜く力」を求めることから、教師も子どもたちも解放されてもよいと思います。「弱いものでも生きていける社会」「弱いものが、弱いまま受け入れられる社会」が現代にマッチする考え方だと思います。弱いものに強くなることを求めるよりも、弱いものにとって弱いことが受け入れられる「学級」であってよいかと思います。それは、「頑張れ」「やればできる」という言葉をかけても、「頑張ってもできない子ども」が必ずいるからです。低学年のうちは、学習内容が易しくできることも多いです。しかし、高学年になるにつれて、難しくなり「わからない、できない」子どもが多くなります。できないままの自分を受け入れてくれる「学級」の方が長期的に安定し、個々のパフオーマンスも向上しやすいかと思います。
学級も社会と無縁ではない
私は、眼が悪いです。
ちょうちょう結びができません。まっすぐに走ることもできません。
そんなことも子どもに話します。
学級経営も社会と無縁ではありません。次の時代にとって、わからない、できないことがあっても受け入れられる社会であってほしいと思います。
2 気持ちを救うことを優先する〜言葉かけを例に
「マシーンの性能向上」や「動物の調教」ではない
具体的な指導は、子どもによって様々であり多岐に及びます。ある子どもに有効であったことが、別の子どもには、効果がなかったことなどは、多くの先生方が経験されていらっしゃることです。まずは、子どもの気持ちを大切にしたいと思います。
何かの言葉かけや、指導をして「マシーンの性能向上」や「動物の調教」のようなことをするのではなく、気持ちを育むようにしたいと考えています。それは、何もしない、そのままでよいということではありません。理解ができなかったり、皆と同じことができなかったりする子どもで、そのままでよいと思っている子どもに出会ったことがありません。「みんなと同じようになりたい」「自分だけができないのがつらい」と思っているはずです。そうした思いをもった子どもに、「そのままでよい」「何もしなくてもよい」としてしまえば、成長する道を閉ざしてしまいます。それは学業だけでなく、社会性、経済活動の道をも閉ざします。重要なのは、全体での指導をしながらその子どものペースも考慮するということです。
自分が変わって成長する楽しさを大切に
簡単な言葉かけはつぎのようにします。
「わからない」「できない」ことがあっても、だいじょうぶ。
なぜかというと「わからない」ことが、だんだん わかってくるから うれしいのです。「できない」ことが だんだん できるようになるから 楽しいのです。
他人との比較だけの喜びや楽しさだけでなく、自分が変わって成長する楽しさを大切にしたいです。
そして、常に大切にしたいのは、孤独にならないようにすることです。孤独は人を傷つけます。自分を最も傷つけるのが、孤独である自分であることもあります。
私は
「わからないこともあるだろうし、できないこともあると思います。でも、先生は一緒にあなたと、学んでいこうと思います」
という言葉かけをしています。
なるほどと思いました。
一人ひとりに向き合うとはどういうことなのかをより多くの教員にもっと考えてほしい。そういう意味でもとてもよい提言だと感じました。