教育オピニオン
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脳の多様性と認知特性から考える探究学習
イノベーションを起こすのは「遅い思考」
島根大学 教育学研究科(教職大学院)講師松尾 奈美
2024/6/1 掲載

ニューロダイバーシティと「未開拓の才能」の社会参加


 個人の感じ方や思考の違いを、「脳や神経(Neuro)の多様性(Diversity)」として捉えて尊重し、社会のなかで活かしていく、「ニューロダイバーシティ(Neurodiversity、神経多様性)」の考え方が、近年注目されています。人の思考は十人十色で、同じものを見ていても、感じとるもの、そこから考えることは異なります。脳や神経、そしてそれまでの経験や置かれている環境などの違いもあり、ひとりとして同じ思考をする人は居ないのです。

 「発達障害」の発現は、人の進化と表裏一体をなす形で起こってきました。みなさんは、「発達障害のサルはいない」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。実際には2016年に世界で初めて自閉スペクトラム症の特徴をもつニホンザルが1例確認されているのですが、進化の過程であらゆる側面の知的能力が求められるようになるなかで、個人個人の得意不得意の差が顕著となって表れたのがヒトの「発達障害」だといわれています。特定の能力だけ突出していたり、逆に特定の分野にだけ苦手があったり、様々な場面で知的能力が発揮しづらかったりするのが「発達障害」ですが、それだけ、多様な知的能力が求められ、多様化してきたからこそ、この概念が生まれたのです。

 いかに多様性が謳われていても、社会は多数派に合わせて回っており、いわゆる「定型」に当てはめて理解することで見過ごされ、埋もれてきた才能は多くあるはずです。ニューロダイバーシティという考え方は、発達障害などを能力の欠如ではなく特性として捉えることで、神経学的マイノリティを含め、全ての人が尊重され、能力を発揮し、社会参加できる社会への転換を促すキーワードとなるのです。

思考の違いは認知の違いから生まれる


 認知とは、知覚した刺激のなかから必要な情報を選び取り、バラバラの情報を意味ある「かたまり」としてつなぎ合わせて認識・理解する脳のプロセスです。親子や兄弟、友達同士であっても、認知の特性は異なり、隣の人と私たちは同じものに対しても違う認知をしています。脳の中で起こることは言葉以前の直観的なものも多いので、自分でも自覚することが難しく、殊、他人となると、互いに理解し合えているつもりの間柄でも、自分とは違う思考に驚かされることばかりです。
 学習の場面などでも、例えば、「視覚優位」といって図や絵、写真や動画など目でみる情報の方が処理・理解・記憶をしやすい人もいれば、「聴覚優位」といって、言葉や音、口頭での指示といった耳からの情報が処理・理解・記憶をしやすい人もいます。また、「身体感覚優位」といって、触覚や嗅覚、味覚といった体験からの情報や、体を動かしながら経験したり、やってみてどうだったかを話し合ったりすることで、理解がより促進されるタイプの人も居ます。このように、個人の認知の得意不得意を「優劣」ではなく「多様性」として認め、生かそうとするのが「認知特性」の考え方です。

 視覚優位の人にとって有効な方法が、いつもは聴覚からの情報処理で物事を考えることが多い人に新たな発想をもたらしてくれることもあります。また、身体感覚を通じてこそ学べるハンズオンの学びや、人と接し、自ら動くことで得られるリアルな学びは、「分かったつもり」「当たり前」と思っていた事柄に、「本当にそうか?」という批判的思考を働かせるきっかけとして、誰にとっても大切なものです。学び方や考え方、感じ方の違いがあるからこそ、人は人とつながることで、学びをさらに豊かにしていけるのではないでしょうか。

探究的な学びに必要なのは、豊かに感じる「速い思考」と、深く考え練り上げる「遅い思考」


 『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか』という本の中で、認知心理学者のダニエル・カーネマンは、「速い思考」と「遅い思考」の2つの相互作用が、人間の意思決定や判断の質を左右すると述べています。速い思考とは「ものを認識し、注意を向け、危険や損害を避けようとし、好意や嫌悪の感情など、自分の意思とは関係なく、自動的に行われる思考のプロセス」です。そして、遅い思考とは、「自分の考えをもって自ら選択し、何を考えどう行動するかを自分で決める意識的な思考」です。速い思考から得られた印象や感覚がいかに豊かであるかによって、遅い思考により練り上げられる思考の質は変わってきます。
 私たちは、学校や試験で求められる学力を向上させるために、似たような練習問題を解いては、「余計な思考を削ぎ落し、いかに思考を自動化し、速く正確に解答にたどり着くか」を練習してきました。現代社会では、効率や合理性、すぐに成果が見えるものが重視され、「速い思考」においても、「必要か不要か」「役に立つか否か」の判断が優位になることで、様々なものに感動し、驚く目や耳が閉ざされ、切り捨てられている可能性が多くあります。また、答えの出ない事態に耐える力を「ネガティブ・ケイパビリティ」といいますが、白黒思考が常となり、「ものになるか分からない」回り道や、答えの出ないことについて「遅い思考」で考える余裕がなくなっています。学びから「遊び」がなくなり、評価されるかどうか、選抜に勝利して他者より優位な自分を確認できるかが重視され、学びの悦びが「お勉強」に置き換わってしまっています。どっちつかずの状況に耐えながら見通しのきかない問いに向き合うよりも、答えの分かっている道を選びたくなってしまうのは、現代人の性でもあると思います。効率的ともいえますが、いくら自動化を目指しても、AIの計算速度には敵いません。

 人間にとって学びとは、「合目的的」でない部分もあるのだと思います。私は普段、子ども達の探究的な学びに携わっているのですが、そこでも、周りの大人が子どもを心配し、「回り道しすぎだ」「いろんなことに手を出さずに、絞るべきだ」とたしなめていたり、子ども達も答えを与えられるのに慣れてしまって、大人が答えやヒントを言ってくれるのを待っている場面に多く出会います。先が見えているのなら、それは「探究」ではありませんし、「目的」や「ゴール」から逆算されたレールの先にイノベーションは生まれません。そのような学習では、人が本来もっているクリエイティビティは、限定的にしか発揮されないでしょう。探究的な学習を真に意味のあるものとするためには、学習における、速い思考と遅い思考の両面の回復が必要なのではないかと思います。

脳の可能性を追求し、これからの学びを考える


 私たちの心や思考の動きは、脳の働きから来ています。一度きりの人生のなかで、自分の可能性を最大限発揮したいという想いや、叶うことなら自分の脳を最大限使ってみたいという想いは多くの方に共感いただけるのではないかと思います。しかしながら、これは教育の責任でもありますが、私たちは自分自身で、自分の脳の可能性を狭めてもいます。

 『The Artist Way:いくつになっても「ずっとやりたかったこと」をやりなさい』という本で、自らもアーティストであるジュリア・キャメロンは、誰もがもつクリエイティブな脳(アーティスト脳)をはたらかせるために、毎朝A4サイズのノートに手書きで3ページ、自分のためだけに考えを綴る「モーニング・ページ」と、自分のなかのアーティスト・チャイルドの要望に応え、そのアーティストをエスコートするつもりで、やりたいことをやる「アーティスト・デート」という手法を紹介しています。「モーニング・ページ」は、自らの思考に「どうせ無理だ」とブレーキをかける“論理的”な思考を強制的に使って疲れさせ、「アーティスト・デート」は、我慢しがちで後回しにしがちな「自分の欲する、本当にしたいこと」を解放するために行われます。

 誰もが「何かを生み出したい」「自分が生み出したものや自分の働きで、誰かに喜んでもらいたい」という思いをもっています。イノベーションや創造性は、一部の人のみの特権ではありません。また人は、「物事の本質に迫りたい」という欲求をもっていますが、回転速度ばかりが求められれば、時間のかかる深い思考は育ちません。常に判断を求められて「判断疲れ」に陥ってしまうと、本当に考えるべきことに思考を使う余地をなくしていまいます。これでは、限られた脳という資源を有効に活用しているとはいえません。

 どんな状況に置かれても、人のクリエイティビティは消えてなくなることはありません。周りの大人を含む環境や自分自身の意思次第で、いつからだって開花させることが出来ます。さまざまな経験をしてきた大人から見れば、「答え」や「結果」が見えていたとしても、子ども達の試行錯誤を自分の経験則から否定してしまわずに、そのプロセスの独自性を尊重することが、大変重要だと思います。まずは、消極的な諦めや、委縮から知らず知らずに閉ざしてしまっている可能性に気づき、積極的に「自ら学びたい、考えたい、取り組みたい」と思えることに少しでも多く思考を使えるよう、社会全体が意識を変革していく必要があるのではないかと思います。

【参考文献】
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか』(早川書房、2014)
ジュリア・キャメロン/エマ・ライブリー『The Artist Way:いくつになっても「ずっとやりたかったこと」をやりなさい』(サンマーク出版、2020)

松尾 奈美まつお なみ

1990年、福岡県生まれ。九州大学21世紀プログラム、九州大学大学院人間環境学府教育システム専攻、広島大学大学院教育学研究科を経て、2019年3月に島根大学に着任。教育学研究科攻(教職大学院)および教師教育研究センター。専門は教育方法学。認知心理学などの知見を借りながら、子ども達のなかから問いが生まれて、その問いに向かって探究を行い、本質に向かって学び合い、知的探究に浸れるような授業づくり、学びづくりに取り組んでいる。

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