- 『SCHOOL SHIFT 2』刊行特別インタビュー
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GIGAスクールとも生成AIとも関係ない答に思われるかもしれませんが、「『よい学習指導とは何か』という問いを、その目的についても方法についても真剣に問うこと」だろうと考えています。恩師である故沼野一男先生の受け売りなのですが、ICTや生成AIといったテクノロジーを活用していくことは教育現場において変えることのできないことだろうと思います。では、そうしたテクノロジーで代替することのできない、人間教師でなければできない指導とは何か。それを追い求めていく姿勢こそが一番大切ではないでしょうか。
眼の前の子供をよく見ること。そして、その子供が学びやすくなるようにするために、自分が普段、行っている何かを少しだけ変えてみること、でしょうか。例えば、極めて集中力の低い子がいたとします。黒板に書かれた本時の「めあて」をノートに書くだけで疲れてしまい集中を保つことができない。だったら「めあて」を板書するのをやめてみる、みたいに。
というようなことを言うと「めあてを板書しないなんてあり得ない」みたいなことを言われるわけですが、今まで自分が「こうすべきものだ」「こうするものだと教わった」ようなことを思い切ってやめてみるところから新しい発見を得られることは多々あります。
自分が今までやってきた「当然だ」と思っていたことを疑ってみる。「シフト」ってそういうことだと思います。
ちなみに僕は「めあて」を板書しないどころか、そもそも板書しません(笑)。
「AIを授業で活用するための3つのステップ」というテーマで講演を頼まれたことがあります。その時、頭を捻って考え出した3つのステップは以下のようなものでした。
- 教師としての基礎的な指導力の確立
- 生成AIの活用が教科の目的達成に効果をもたらすような授業の構想力
- 自身の授業実践を常に批判的に捉え直す覚悟
「AI」ではなくて「ICT」でもこの3つのステップは同じだと思います。
でも、これっていかにもICT批判派が言いそうなことではないでしょうか。ICT活用を積極的に進めている方の中には「何かというと『教科の本質こそ大切だ』『ICTは所詮ツールだ』などと言われて気が滅入っているのに、なぜ鈴木はそんなことを言うのか」と訝しる方もいらっしゃるかもしれません。
なぜ敢えてこんなことを言うのか。それは、そういうことを言われても仕方のない隙をICT推進派が自ら作っているのではないか、と危惧しているからです。
正直なところ、最近目にする「このツールを使ったらこんな簡単に授業ができました!」「このツールを使うのが最先端です!」という実践のアウトプットの中には眉をひそめたくなるものが少なくありません。
「ツールの話はともかく、あなたのその授業で児童はどんな見方・考え方を働かせたのですか」「その授業であなたは児童にどんな資質能力を身に着けさせたいと考え、それはどの程度、実現することができたのですか」というように問い質したくなるときがしばしばあります。
アウトプットすることは大切です。しかし、パッと見た目は格好良くても中身の伴わない実践をアウトプットされたらICT批判派を勢いづけるだけです。それでは意味がないですよね。
学校教育を更に「シフト」させたい、と考えている先生方に送りたいメッセージは「ちゃんと授業しましょう!」ということです。「シフト」はちゃんと授業しようとするプロセスの中から生まれてくるのだと考えています。