13日の読売新聞の記事によると、ジャーナリストの江川紹子さんが、オウム真理教の松本智津夫死刑囚の四女(18歳)の後見人を辞任する許可を求める申し立てをさいたま家裁に行ったそうです。回りくどい文ですが、簡単に言えば「後見人を辞めたい」ということですね。
でもたしか江川さんは、四女の後見人に、今年なったばかりのはずです。それなのにもう辞めるの? そもそも後見人って何?…などの疑問が湧いてきたので少し調べてみました。
まず、今回の江川さんの立場は、「未成年後見人」に該当します。未成年後見人とは、未成年者に対して親権を行う者がないときなどに、法定代理人となる者のことです。本人が成人するまでの間、各種の契約や申請に同意するなど、親の代わりに保護者としての役割を果たします。ちなみに、成年者に対する後見制度もあります。これは旧来の「禁治産・準禁治産制度」に代わって導入された制度で、本人の判断能力の程度に応じて「後見」「保佐」「補助」の3類型があります。本人の権利を制限するという側面もあるので、原則として裁判所の決定が必要です。
今回の件は、教団との関係に耐えられず、2002年ごろから家出を繰り返してきた四女が、昨年8月、「教団の束縛から逃れたい」とのメールを江川さんに送ったことがきっかけとなりました。その後江川さんが後見人になることを引き受け、裁判所もそれを認め、正式に後見人となったわけです。
しかし、記事を読むと、その後四女は「松本死刑囚を『グル』としてあがめる気持ちが深まってい」き、江川さんに隠れて教団関係者と連絡を取るようになっていったとのこと。
長年教団に対して疑問を抱いていた者が、ようやくそこから抜け出し新たな生活を始めたものの、わずか半年程度で元に戻ってしまった…。この現実を見てしまうと、問題の根深さ、解決の難しさを感じずにはいられません。
ちなみに、松本死刑囚が逮捕されたのは1995年です。四女はわずか6歳でした。そのころから彼女が教団の教えを理解し、信じていたとは思えません。その後も閉鎖的社会に身を置き続けたことが(身を置かなければならなかったことが)、今回の原因になっていると考えてよいでしょう。現在の法制度の下では、彼女のような立場の人間を救い出すのは不可能なのでしょうか。
小職は43才男性で、裁判関係の取材を10年余り経験し、且つ、自身も実父を相手に民事、刑事裁判(刑事は被害届止まり)の経験があります。
裁判中、生きる為に新興宗教に入ったり、世間で底辺と言われる営みもしていました。
結論から言って、松本死刑囚の四女のように(限られた世界ではあるが)絶対的権力者のそばに居た人を助ける(自分の意思で自由に活動できるようになる)には、それに匹敵する権力に属して優遇されるしかないと思います。
例えば、彼女が弁護士になって成功するとか、指定暴力団幹部になるとか、大企業の社長になるなどしなければ、彼女は救われないという意味です。
彼女の信仰心は全く関係無いと思います。
小職は彼女とは面識も交流もありませんが、彼女の気持ちは理解出来なくありません。
彼女は、昔、不自由なく「チヤホヤされ」、権力に飢えているなか、現在の己の不自由さとのギャップに抑圧されているのだと思います。
現在の教団に対しては、憎しみを持っていると同時に、「何かあればこの人たちは再び自分の部下になる」との幻想も併せ持っていると思います。
昔のヤクザの身内や腹心が「足抜け」しようと試みても、戻ってしまう心理と同じです。
TVや本で有名になった大平光代弁護士は、少女時代ヤクザの愛人で背中に大きな刺青まであります。彼女が助かったのは弁護士に拾われ彼女が弁護士になれた事でより大きな権力を得たからです。
権力のトラウマと人間関係のバランスとで、救われるか否かが変わると小職は思います。
「救われる」の定義が不明なので小職なりにこじつけた点もありますが、日本のように多様な権力世界が存在する国だからこそ、彼女には前述のような可能性が残されていると思います。
P.S.
これってアドレスとか反映されちゃうんですかね?明治図書にいた時は出版目録の確認しかしてなかったけど、初めて書き込みしちゃいました。
あのテロリスト集団オウムが松本死刑囚の教えを貫いている(真理の為にポアすべき…等、堂々と説いている)様には、
久々に恐怖感と嫌悪感を感じました。
江川さんは知っていたかも知れませんね。
私が彼女の立場ならば公安や裁判所に「被害者を助けもできず、まだテロリストをのさばらしてんのか!」と怒鳴り込むでしょうが、
苦労人らしい江川さんらしい「縁の切り方」と今感じました。
あのオウム事件は、諸外国ではテロと認識されているのに、
日本の法律も教育も政治も実に情けないです。