- マスターしたい指導技術集
- 教師力・仕事術
ある若手教師の訴えです。
掃除をダラダラしている子に注意したんです。
注意されたのに、掃除がきちんとできないんです。
不満そうな顔をして、ゴミが残っているのに、そのまま掃除を終わっているんです。
よくある話です。
教師が注意をしたのに対し、子どもは不満そう。
そして、掃除はきちんとできないまま。
もう何度、同じような話を聞いたかわかりません。
どこの学校でも、どこの県でも、同じような話を聞きます。
この場面の、何が問題なのでしょうか。
答えは簡単です。教師の「教えるという行為」が抜けていることが問題なのです。
この場面、実は、子どもは掃除をやっているつもりなのです。
子どもにとっては、「掃除とは、ほうきを動かすこと」、「大きなゴミを集めること」という意識なのです。
でも、教師にとっては、違います。
教師にとって掃除とは、「単にほうきを動かすだけでなく、小さなゴミも集めること。隅々までほこりをとること」なのです。
つまり、子どもの掃除に対するイメージと、教師の掃除に対するイメージがまったく違っているのです。
だから、教師に注意された子どもは「自分はちゃんと掃除をしていたつもりなのに」と不満そうなのです。
前提が違う状態で注意をするから、不満が残るのです。
注意をするのではなく、先に掃除のやり方を教えるべきだったのです。
「教える」という行為は、口で言うだけでは不十分です。
「教える」ためには、@お手本を示し、Aポイントを説明し、Bやらせてみて、Cほめて助言する(できているところはほめて、できていないところは助言する。)というステップを踏まなくてはならないのです。
『教える』の中身は、
お手本を示し→ポイントを説明し→やらせてみて→ほめて助言する
のすべてを含みます。
このことを意識して指導できている教師が、どれぐらいいるでしょうか。
最初から掃除のやり方を知っている子どもは減ってきました。
おそらく、家庭で掃除のやり方を教えてもらう機会が減ったのです。
だったら、学校で教師が教えるしかありません。
注意する前に、教師は自問してほしいのです。
掃除のやり方を、正しいやり方を、一度でもこの子に教えただろうか。
教えるのが教師の仕事の根幹部分です。
この根幹部分ですら、知らないとできないという事実に、毎年出会っています。