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いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊…子どもを取り巻く教育環境が大きく変化してきている。変わりつつあるのは子どもだけではない。子どもを育てる親にも大きな変化がみられる。モンスターペアレントなどという言葉は、中学校のみならず小学校や幼稚園あたりでも別段珍しくもないと、年配の先生方は口をそろえていう。
戦後、といってもベトナム戦争でも湾岸戦争でもない、第2次世界大戦のことだが、アメリカ直輸入の「自由と民主主義」がすべての価値観を否定する形で覆い尽くし、ある種の物質的豊かさの中で、核家族やマイホーム主義が大衆化した。一億総中流意識の中でやがて、戦後を引きずらない親たちが子どもを産み、育て始めた1980年以降、まさに完全な戦後世代が新世代の子どもたちの親となって登場した。
しかし、その豊かさは精神的豊かさにはつながらなかった。アトピーやアレルギーなどに象徴される弱さと敏感さが、子どもの身体だけでなく心にも反映しだしたように思われる。少子化は少なく生んで上手に育てるつもりで、少なく生んで上手に育て損なってきた感がある。
子育ては植物を育てるのに似ている。バランスのとれた土壌の中で、適度な水と程良い陽光の中で、できるだけ自然に育つのを待つのがよい。土壌は家庭、水は教育、光は愛情であろう。
小さな植木鉢の中で、これでもかと過分な肥料と根を腐らせるほどの水、そっと見守るよりも絶えず照射する光の中で植物は弱っていく。なぜ伸びぬ、なぜ咲かぬと、茎や葉やつぼみまで引っ張り、押し広げるのでは、育つものも育たない。
教育も自然な環境を整えたら、後は待つのがコツ。そっと見守り、それぞれの育ちを受け入れてこそ、時期の到来とともに、美しい花が咲くのではないだろうか。小さな家庭という植木鉢からともに育つ花壇や畑に移し替え、お互いに育ちあう姿をゆったりと楽しもうではないか。本来子どもたちは支えあいたくましく育つもの。私たちはもう一度自然から子育てを学ぶべきなのかもしれない。