教育オピニオン
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「素朴な疑問」にこだわる
埼玉県立川越女子高等学校長永松 典
2011/10/17 掲載

 もう20年ほど前のことだが、ある生徒から「日本史を勉強して、何の役にたつんですか」と真顔で質問されたことがある。その時は、「現在の社会を正しく理解するためには、それがどのように出来てきたかを知ることが必要でしょう」と答えたが、生徒が十分に納得したようには思えなかった。その生徒の質問はずっと澱のように私の中に中に重く沈潜し続けてきた。歴史を学ぶ意味はどこにあるのか、どうすれば、子どもたちが生き生きと歴史を学び、歴史を学習することの大切さを自ずから感じることが出来るのか。考えてみれば、そうした生徒の「素朴な疑問」に十分な対応が出来ずに、口ごもったり、たじろいだりすることも多いのではないだろうか。

 しかし、最近はこうした「素朴な疑問」をぶつけてくる生徒が少ないように思える。子どもたちの「学びからの逃避」という佐藤学氏が指摘する現象は、年を追って顕著になっているようにも思える。高度に発達した現代の資本主義社会が、現実的な効用がないものを意味のないものと切り捨てる傾向を内包しているからかとも思う。じっくりと学ぶよりも、即効性のある現実的な回答を求める傾向は、多くの子どもたちに見られるように思う。今はむしろ「なぜ学ぶのか」と素朴に質問する生徒が稀なのかもしれない。多くの高校生は「それは大学入試センター試験に出ますか」とか「○○大学の出題傾向はどうなっていますか」とかいう質問をするのではないだろうか。

 こうした傾向は、物事を多面的に考えたり、根拠をじっくりと考えたりしない子どもたちを作っているのではないかと不安になる。科学技術が高度に進み、社会の各分野における専門性が深まれば深まるほど、一般に人々には理解できない、いわゆるブラックボックス的な分野が多くなる。そのような社会が健全であるためには、一般市民が「素朴な疑問」を持ち続けることが不可欠ではないか。「なぜ」「どうして」などといった、「素朴な疑問」を子どもたちから奪ってはいけないと思う。そうした素朴な疑問に正面からきちんと答えることは実は大変困難である場合が多いが、しかしそこにこだわることが大切では、と思う。

 論語の衛霊公篇に「子の曰く、衆これを悪むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す」とある。皆が反対するからと言ってこれに盲従せず、賛成するからと言われてもこれに盲従せず、必ずその根拠や理由を調べるべきであると孔子は諭している。現代社会が「知識基盤社会」であるだけに、子どもたちにクリティカルな思考をさせるためにも、子どもたちの「素朴な疑問」にこだわっていきたい。

永松 典ながまつ やすのり

昭和27年生まれ。埼玉県立川越女子高等学校長。公立高校教諭、校長、埼玉県教育局県立学校部副部長、埼玉県立総合教育センター所長を経て、現職。著書に、『<失敗&成功例でよくわかる>プロ校長の「とっておき」対応術』『<生徒が熱中!教材&資料ナビつき>50場面でわかる「中学歴史」面白エピソードワーク』(明治図書)などがある。

コメントの一覧
2件あります。
    • 1
    • S・S
    • 2011/12/4 15:42:53
    「素朴な疑問」が子どもたちから消えつつあることに危惧を抱かれている永松先生に同感します。疑問を感じなければ、探究することもないからです。やはり、日々の授業の中で「素朴な疑問」を大切にし、多面的多角的な見方を養うことを心がける必要があると思っています。
    • 2
    • T・S
    • 2011/12/6 19:16:53
    子どもたちは意外と「素朴な疑問」を持たないのかもしれません。「疑問」を持たせるような会話を意図的に仕掛けていくことが必要ではないでしょうか。
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