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教員がいじめを抱え込まないために
情報共有のために国・自治体・学校がすべきこと、教員が知っておきたいこと
弁護士・NPO法人「ストップいじめ!ナビ」理事小島 秀一
2017/11/15 掲載

1 情報共有が進まない原因

 2013年に施行された「いじめ防止対策推進法」及び「いじめの防止等のための基本的な方針」は、いじめの疑いに関する情報を「学校いじめ対策組織」(以下「組織」と記載する)で共有すること、そして、当該情報への対応は、教員個人ではなく、組織が行うことを定めている。
 しかし、法施行後、約4年が経過したが、文部科学省の「いじめ防止対策推進法の施行状況に関する議論のとりまとめ」(2016年11月)等をみても、全体としては学校内での情報共有は進んでいるとはいえない模様である。
 では、なぜ情報共有は進まないのだろうか。
 この点、統計的データは見当たらなかったが、文部科学省等の資料や実際に教員の方々からお聞きした内容等を踏まえると、原因の一部としては、

@いじめ認知への抵抗感
A情報共有後の生徒間への介入により、かえって生徒間の関係が悪化するのではとの危惧
B情報共有自体の負担、共有後の対応による負担増加への不安
C自らの職務範囲は自らで解決しなければならないとの責任感(または、担任等が自力で解決すべきとの学校全体の雰囲気)
Dその他、個人的対応により解決できると思える場合にわざわざ組織に報告することへの抵抗感、他の教員への相談(または他の教員の関与)によりかえって事案が困難化するのではとの不安、共有内容・方法等が具体化されていないため、いつ誰に何を報告していいのか分からないという問題、教員の業務量・マンパワーの問題

などがあるように思われる。

2 情報共有のために、国・自治体・学校がすべきこと
 以下、前記原因のうち@からBについて、国・自治体・学校がすべきことを考えていきたい。

(1)「@いじめ認知への抵抗感」について
 2006年以降、文部科学省はいじめの定義を変更し、2013年施行のいじめ防止対策推進法でも、いじめの定義は以前と全く異なる概念となった。詳細は、文部科学省HPの記載もご参照頂きたいが、簡潔に言えば、やられた側の生徒が苦痛を感じれば、それだけで「いじめ」となり得るという、非常に広い範囲の定義となっている。この変更により、日常的に頻繁に起こり得る些細なすれ違いについても、いじめと認知したうえで、学校には早期の対応が求められることとなった。言い換えれば、いじめはどの学校においても不可避的に起きるレベルのものを含むようになっており、起きること自体はマイナスに評価されるものではなく、エスカレートする前の早期の発見・対応に重点がおかれることになっている。
 この定義の変更自体は、いじめへの認知、対応等に関する学校行政の大幅な改善を目指すものとして評価できる。ただ、一方で、未だ学校や保護者において、変更後の概念が共通認識化されているとまではいえず、法の目指す状況と保護者等との認識にずれが生じており、教員に悩みが生じる原因となっている。すなわち、保護者や他の教員等から「いじめの発生」=「学校の不祥事」と認識されるのではとの意識が働き、いじめの認知に抵抗感が生じてしまっている。
 このような状況からすれば、国・自治体・学校は、いじめの概念が大きく変わったことを学校全体と保護者で共通認識化し、教員との間で、いじめを認知することを積極的に評価すること、認知により教員が責を問われたり、評価を下げられたりしないことへの信頼感をさらに醸成していくことが必要ではないだろうか。

(2)「A情報共有後の生徒間への介入により、かえって生徒間の関係が悪化するのではとの危惧」について
 情報共有により事態が表面化し、生徒間の人間関係に介入せざるをえなくなった結果、かえって生徒間の関係が悪化するのではとの危惧を感じる教員も多いようである。
 しかし、一方で、教員が介入を躊躇している間に、生徒間の狭いコミュニティの中で、いじめが短期間でエスカレートし、不登校等の重大事態に至るケースも多くみられる。
 この点、「平成28年度 大津市いじめの防止に関する行動計画モニタリングに係るアンケート調査結果」によれば、いじめを誰かに相談した後の状況について、「なくなった」が36.4%、「少なくなった」が36.7%、「変わらなかった」が19.7%、「ひどくなった」が4.9%とのことであった(回答総数346件)。この「『ひどくなった』4.9%」との数値を、高いと見るか低いと見るかが一つの問題となるが、誰にも相談しない場合に事態が悪化する割合は更に多いと予想されること等からすれば、介入により概ね事態は改善することを示すものの一つといえるのではないだろうか。
 もちろん、上記調査のみでは十分ではなく、更なる実態調査や介入方法の検討等は必要だが、いずれにしても、現状よりも積極的に介入していく必要性や、少なくとも担任教員が一人で判断するよりも、組織において複数の教員が検討し、判断を行っていく必要性は肯定できるのではないだろうか。
 国・自治体・学校は、情報共有後の判断過程についても教員と共有し、教員から信頼を得ておくとともに、安心して早期の介入ができるよう、より早期の段階での介入の是非・方法について調査・検討を行うことが重要ではないだろうか。

(3)「B情報共有自体の負担、共有後の対応による負担増加への不安」について
 負担に関しては、多忙な業務との関係で、とても悩ましい問題である。根本的には教員数の増加が必要だが、この点に関する文部科学省と財務省との意見は対立している模様である。
 このような状況下においては、物理的な負担増を抑えつつも、更に、教員が情報共有により、少なくとも心理的な負担は減るなど、積極的なインセンティブを持てる環境を整えなければならない。そのため、各教員が情報共有を行う機会、内容、方法を更に具体化し定型化しつつ、情報共有の結果、責任が組織に移ることを明確にすること、また、「判断は組織。実行は担任。」等の対応ではなく、組織が主体的に対応する運用を定着させること、各教員が一度は組織の構成員となるなど同僚性を高めること等が有用ではないだろうか。

3 教員がいじめを抱え込まないために知っておきたいこと

 いじめを抱え込まないために知っておいて頂きたいこととしては、前述のようにいじめは日常において不可避的に生じるものであって、いじめの発生は指導力不足といった教員個人の問題と結びつけるべき問題ではないこと、また、情報を共有し組織に判断と対応を委ねることは教員の責任の放棄ではなく、法の趣旨に則った正しい対応の在り方であることなどがある。
 もちろん、いじめが起きにくい土壌を作ることも重要である。しかし、いじめは、教員が想定しない日々の偶然からも度々起きうるものであって、仮に一切のいじめが起きないよう生徒を統制しようとすれば、それはアメリカにおける「ゼロ・トレランス方式」への批判同様に、別の歪みを生み出す可能性がある。
 大切なのは、近時の定義によるところの「いじめ」を、初期の段階で認知し、共有し、複数の教員の判断と対応により、生徒たちに適切なアラートを鳴らし、2006年以前の定義によるところの「一方的」「継続的」「深刻」な「いじめ」にエスカレートさせないことである。
 現状、教員は、法の建前と実際の状況との間で、リスクを負っている状況といえる。平成2017年3月、文部科学省は、基本方針に大きな改訂を行い、そのうちの一つとして「学校の特定の教職員が、いじめに係る情報を抱え込み、学校いじめ対策組織に報告を行わないことは、同項(※法23条1項)の規定に違反し得る。」との文を付加した。これは、情報共有を怠ることは懲戒事由にあたりうるとの議論があったことによるものと思われる。私見としては、現在の環境に鑑みれば、教員個人の責任問題に還元すべきではないと考えるが、いずれにしても、教員の方々においても、「一人で抱え込まなくていい。抱え込んではいけないのだ」という法の趣旨を良い意味での自己防衛の道具として使い、児童生徒のためにも、自治体・学校等に対し、風通しの良い学校環境を作出するよう求めていって頂ければと考える。

小島 秀一おじま しゅういち

【経歴】
1977年生。弁護士(弁護士法人早稲田大学リーガル・クリニック所属)。NPO法人「ストップいじめ!ナビ」理事(代表:荻上チキ。http://stopijime.org/、 http://stopijime.jp/)。早稲田大学臨床法学教育研究所招聘研究員。日本スクールコンプライアンス学会会員。
【主な活動】
2012年「ストップいじめ!ナビ」立ち上げ、いじめ防止対策推進法関連の政策提言(立法時ロビー活動・自治体チェックリスト(http://stopijime.jp/check2015)・マスコミ勉強会等)、中学高校でのいじめ予防授業・講演・教職員研修、早稲田大学教職課程学生向け講演、スクールカウンセラー向け講演、東京弁護士会研修(学校問題ADR)、学校運営協議会委員、学校いじめ対策委員会委員、重大事態調査委員会委員等。
【寄稿】
朝日新聞WEBRONZA『いじめ防止対策推進法・施行後3年の課題』(2016年12月)、『いじめは許されない、ではいじめとは何か』(2017年2月)等。

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