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私は50数回の夏休みを経験してきました。前半の16回は子ども、生徒、学生として、後半の40回近くは教師として。前半の16回はただただ楽しく過ごし、後半の40回は部活動と教材研究と読書に明け暮れました。
しかし、前半の16回はきっと当時の教師も「夏休みの心得」なるものを私たちに指導したに違いありません。そして後半の40回は自ら教師として指導してきたつもりです。それにもかかわらず前半の時代は全く記憶にないし、後半は「これで夏休みは安心だ」と思った指導はとても少なかったのが現実です。
50数回の夏休みに共通していることは、私は学校を忘れていたということです。元来、夏休みとはそういうものであり、夏休み前の生徒指導などどれほどの効果があるものでしょうか。
その理由は次の2つにつきます。
@そもそも40日前後の夏休みを勉強に励み、規則正しく生活することなど一般的な指導ではとても無理なことです。
A保護者は基本的には毎日仕事に行くのですから、子どもの言動をいちいち見守ることはできません。半ば放置状態になって当たり前です。
保護者の助けもない中で40日間も初心を貫徹できる子どもは、おそらくクラスでわずかです。今日ではひとり親家庭や共働き家庭の子が多く、どんな事前指導も10日ももたないのが現実ではないでしょうか。
つまり、私はよくある「夏休み前の生徒指導」は通り一遍の指導では、ほとんど効果がないと思っているわけです。そこで数少ないうまくいった時の具体的なことを3つ紹介しておきます。
1.休み前の個人面談で目標を保護者と確認し、保護者の援助を依頼する。
学級で事前に1人1人に書かせた「夏休みの目標」は、教師は目を通しチェックしておきます。個人面談で保護者と確認し、1人で取り組めないような目標は、保護者に援助を具体的に依頼します。
例えば、学習面なら具体的に勉強の仕方を教え、保護者にも知ってもらいます。英語の単語ならコツコツと書いて覚える、数学なら問題集を何度もやる、などと。
生活面の目標なら、どうすれば実行可能なのかを相談します。今日はどんなことをしたとか、誰と遊んだとか、必ず話題にしたりすることを保護者にも依頼します。
もし、保護者としてどうしたらいいかわからないというなら、面談の時間ではとても足りませんから、私の場合は家庭訪問をして具体的に相談しました。
2.学級登校日、遊ぶ会、学習会などを計画する。
長い休みでも部活動などで学校とつながっている子は、比較的安心できます。ところが、早々と部活動をやめてしまった子などは、40日間も学校と何のつながりもなく生活することになります。人は誰でも集団に所属しようとしますから、学校があればまだ自分の集団に属することができますが、夏休みになるとそうはいきません。
いつもの休み時間の仲間は部活動に行っていて、簡単に会うことができません。こうして友だち関係も長い休みで変わってしまうのです。もし、新しい友だちが不健全なことをしていれば必ず本人も不健全なことをします。そうしなければ、その仲間には入れないからです。
長い夏休みが終わって、心身ともに様変わりしてくるという子がいますが、それは新たな仲間、それも不健全な仲間に所属したことの表明でもあります。
そこでできるだけ学校とのつながりをつくります。何回かの学級登校日を設けたり、遊ぶ会を計画します。そうやって何度か顔を合わせるだけで夏休み前のつながりが再確認できるからです。
できれば、学年の先生たちが交代で学習会を開いてやれば、遅れていた学習を克服できるだけでなく、ここでも学校や友だちとのつながりが確認できます。
できるだけ学校に来る機会をつくっておくのです。
3.心配な子は溜まり場や家庭に出向く。
ところが、難題は何らかの理由で保護者の援助もなく、学級登校日、遊ぶ会、学習会などを計画してもほとんど来ないだろうと推測される子たちをどうするかです。糸の切れた凧のような状態です。いわゆる「荒れている子たち」がそうです。
事前に書かせた「夏休みの目標」は提出しないか、全く実行する気もなく、保護者親の援助もほとんど期待できない子たちですが、残念ながら必ず数人はいます。
普段から指導の困難な子なのですから、夏休み中の指導など到底不可能です。むしろ溜まり場や家庭に出向いて、そこは学校ではありませんから、小うるさいことは言わずによく話を聞く機会にした方がいいと思います。
「最近は何してるんだ。楽しくやってるか?」という取り留めない話から、「中学校卒業したらどうする?」などと、学校での悪さは蒸し返さずに人間関係をつくり、どんなことを考えているのかを知る機会にすれば、きっとのちのち役立つでしょう。
念のために一言。私は夏休み前の“定番”の指導事項である「学習の取り組み、規則正しい生活、交通安全、不審者対応、ネットトラブルの防止」などの指導を否定しているわけではありません。
ただ、このような指導は「かけ声」だけに終わってしまうことが多いもので、常に学校とのつながりの中で指導していきたいと思います。