- 道徳授業づくり実践講座
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この文章を書いている11月8日現在、バルセロナで開催されている国際的な道徳教育学会(Association for Moral Education)に参加しています。世界中から道徳教育について、哲学、心理学、社会学などいろいろな立場の研究者が一日中議論している姿にとても刺激を受けています。道徳的価値を教え込んでいくという立場の人もいれば、民主的な価値を大切にする立場の人もいますし、「道徳性ってそもそも何だ?」という議論もなされています。多様です!
さて、前回は中学校の定番教材で授業づくりについて考えましたが、今回は小学校の定番教材になっている「雨のバス停留所で」を用いた道徳の授業づくりについて考えていきましょう。
雨のバス停留所で―あらすじ―
ある雨の日、母親といっしょに外出をする主人公のよし子さん。バス停ではバスを待つ人たちがタバコ屋の軒下で雨宿りをしています。遠くにバスの姿が見えたので、よし子さんは駆け出してバス停の先頭に並びました。バスが停車し、よし子さんが乗り込もうとしたときに、お母さんがよし子さんの肩を強い力でぐいと引きました。そして何も言わずに、お母さんが並んだところまで連れていきました。お母さんはとても怖い顔をしています。バスに乗り込むとすでに席は空いていません。お母さんは黙ったまま外を見ています。そんなお母さんの横顔を見て、よし子さんは自分のしたことを考え始めました。
「規則の尊重」で取り上げられる教材
この教材は、決まりやマナーを大切にするという内容項目を扱うときに取り上げられます。定番教材なので、実に多くの指導案がインターネット上にも掲載されていますので、よろしければ検索してみてください。かつて文部科学省が提示した『「私たちの道徳」活用のための指導資料』では、どのような発問が設定されているのでしょうか。
よし子さんの思いを中心に考える発問として、次のような発問が提示されています。「知らぬふりをして窓の外を見ているお母さんの横顔を見ながら、よし子はどのようなことを思ったか」。そして、「身の回りの決まりはなぜあるのでしょう」ということを子どもたちに考えさせていきます。あるいは、黙ったまま外を眺めている母親の気持ちを推し量る発問も提示されています。「お母さんは、どのようなことを考えながら窓の外をじっと見つめているのか」という発問がこれに該当します。
よし子さんはどのようなことを考えていたのかなという発問に対して、多くの子どもたちはだいたい次のような反応をします。
「周りの人のことを考えずに一人だけ前に行ったから、おかあさんは怒っているんだな」
「軒下にいた人たちは、並んでいたんだなぁ」
「他の人たちに悪いことをしたなぁ」
こういった発言を受けて、決まりを守ることが大切であるということを落としどころに、授業は終わりを迎えます。順番を守っていないよし子さんの行動を考えることで、決まりを守ることの大切さを教えていくという流れになっています。
あるとき、知り合いの先生が「もし晴れたバス停留所だったら、よし子さんは同じことをしたのか」とつぶやきました。そうですよね。もし晴れていたらみんな来た順番で並んでいるかもしれませんし、そうであればよし子さんもいきなり先頭に割り込んで並んだりはしなかったはずです。
果たしてこの教材で描かれているよし子さんは、子どもたちの反面教師になるような「悪い子」なのでしょうか? 私には決してそうは見えません。同じ大人として、一言も発せず黙って外を眺めている母親の方がむしろ気になります。
私のこの疑問に見事に答えてくれたのが、鳥取市の世紀小学校に勤務されている木原一彰先生の実践でした。木原先生が4年生を対象におこなった授業実践をもとに、この教材の新しい展開を考えていきましょう。
よし子さんはそもそも規則を破ったの?
木原先生の授業も「なぜ、お母さんは黙ったまま、窓の外をじっと見つめているのでしょう」という問いが準備されているところまでは同じです。子どもたちもこれについて考えを巡らせます。
「いろいろ言いたいけれど、なぜ無視をしているのかその理由を考えさせたいから」
「いけないことに気づかせるため」
「一人で振り返らせて考えてもらうため」
という意見や
「バスの中で説教すると他のお客さんに迷惑だから」
という意見も出てきました。
しかし、ここからの展開が違いました。木原先生は、次のように子どもたちに問いかけました。
問い「よし子さんは、ルールを守ってないの? みんな軒下にいただけでしょ。そもそもこの場面でルールってあったの? 雨の日のバス停にルールがないなら、よし子さんはルールを破ってないよ」
子どもたちはハッと気づきます。続けて、次のように木原先生は問いかけました。
問い「この場面ではどんな決まりがあればいいのだろう。必要な決まりとその理由を考えてみよう」
「規則やルールはすでにあるものなので、無条件に従わなければならない」という価値観からの脱却をねらって(ましてやこの場面では、暗黙のルールに従いなさいというメタメッセージが含まれている教材からの脱却をねらって)、どのようなルールが必要になってくるのかということをクリエイティブに考えることをねらった授業になりました。
子どもたちはいろいろなアイデアを出してきました。おじいさんやおばあさんを優先にするアイデア、雨の日でも並べるように屋根をつければいいというアイデア、来た人からカード(番号札)を取っていくというアイデア、タバコ屋に許可をもらって雨の日はタバコ屋の軒下に並ぶところをつくるなど、実に興味深い意見がたくさん出てきました。
最終的に、決まりをつくるときにどこに着眼したのかということを確認していきます。つまり高齢者や子どもたちに優先順位をつけるのか、早く来た人順にするのか、環境改善に着目するのか、それによって規則のつくり方が変わってきます。
ある男の子が発言しました。
「決まりってトラブルがなくなるようにするために必要なんだな」
規則を守ると気持ちがいいという心情主義的な捉え方ではなく、無用なトラブルから自分たちを守るために規則があることに小学4年生が気づいたのは大きいと思います。
お母さんの姿
この授業では、木原先生の子どもへの個別対応の中で、お母さんの姿が話題に上がっていました。どうしてお母さんは何も言わないのかということそのものへの疑問です。つまり、何も言わずに黙って怒っている気持ちをよし子さんに推測させる母親の行為そのものへの疑問です。明らかに物語中の母親は「空気を読むこと」を強要しています。
この空気を読むという文化は、日本においてはとても顕著であると言えます。たとえば、私たちがコミュニケーションをする際には、「高文脈文化」(高コンテクスト文化)と「低文脈文化」(低コンテクスト文化)という二つのコミュニケーションが存在するといわれています。高文脈文化とは言語のみでなく、言外の意味や含みをもたせた表現などを理解することによってコミュニケーションが成立することを意味しており(日本語が特にそうですね)、逆に低文脈文化は言語情報をつぶさに伝えることによってコミュニケーションが成り立つことを意味しています。どちらのコミュニケーションが優れているというわけではないですが、今後、異なる文化的背景を持つ子どもたちが増えていくことが予想される中では「すべて言わなくても相手はわかってくれる」というコミュニケーションから少しずつ脱却していくことも必要になってくるのではないでしょうか。多文化共生社会を生きていくためには、できるだけ言語情報を伝えていく、つまり「対話すること」の大切さも子どもたちと考えていきたいと思います。
注)「高・低文脈文化」についてはウィキペディアにうまくまとめてあります。参考にしてください。
叱ったり、注意でもない『雨が降ってるから今はみんな屋根の下に並んでるんだよ』って話しかけることでいいんじゃないでしょうか?社会のその場の雰囲気でできたルールの空気をこどもに押し付けているだけのような気がします。
このエピソードを題材にすること自体にセンスを感じないというか、大人の無責任さを感じます。