- 特集 「心の教育」の可能性を探る
- 提言・「心のノート」は道徳教育に役立つか
- 道徳教育の新しい風となるために位置づけを明確に
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- 心理主義からの脱却が道徳教育の出発点
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- スローガン
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- 「役に立つノート」であってほしい
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- 「心のノート」の背景―いまなぜ「心のノート」なのか
- 道徳教育問題「決着」への一里塚に
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- 道徳的価値のイメージ化を図る
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- 「社会的不安・不満」、「生きる力」が作成背景
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- 「心のノート」を検証する
- 低学年児はどう読んだか
- 授業で使うことで好きになる
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- 子どもの心に食い込んでいるか?
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- 中学年児はどう読んだか
- 「心のノート」は書けるからいい
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- 詩「朝がくると」を使って、こう授業した
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- 高学年児はどう読んだか
- 荒れた子どもたちでの実態
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- 無理なくねらいに迫る紙面構成である
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- 中学生はどう読んだか
- 「意図」を考えるのは教師の仕事だ
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- わかりやすい「人生読本」として読んだ
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- 特設「道徳」は授業で成功しているか
- 〈成功〉を実感できるミニ単元型道徳授業
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- 今のままの道徳授業では、日本の将来は危ない
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- 道徳授業を支える電子「タルムード」
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- 成功している!―染谷学級の人気No.1は「道徳」である
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- 「生命の大切さ」をどう教えてきたか
- 多くの「いのちの授業」で「生命を大切にする」回路をつくる
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- 力のある資料「火の鳥」で生命の大切さを伝える
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- 繰り返し「生命を考える」時間を作る
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- 「愛国心教育」という道徳教育を考える
- 自国民の尊厳を守る
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- スローガンでは、人は動かない
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- 日本人の気概を教える愛国心教育は必要である
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- 小特集 「消えた学力」算数・数学学力のここを取り戻す
- 子どもに本来の算数の学力を保障しよう
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- 算数・数学の教育内容を充実させる
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- 「問題を解決する」学習と「問題解決学習」は違う
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- 教育ニュース・ズームアップ
- 1)文科省の生涯学習重点施策 2)「これからの日本語」で答申 3)資料・文化審議会答申概要
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- 家庭の教育力の復権 (第2回)
- 「家風」の再考―昔の家庭の教育力
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- 人権教育の再構築 (第2回)
- 読み書きできずとも人は生きてきた
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- TOSS授業技量の検定 (第2回)
- TOSS授業技量検定への道
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- 「志」を育てる教育 (第2回)
- 心と志―志とは何か
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- 編集後記
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■編集後記
○…文部科学省は二〇〇二年の春、検定を経ない「心のノート」を作成し、全国の公立、私立の小・中学校に巨額の費用をかけ無料で配付しました。なぜいま「心のノート」かについて批判的な声として、教育基本法の改訂問題と関連していると警戒心を呼びかけています。中には「心のノート」という正体不明の「テキスト」と酷評する向きもあります。
○…文部科学省は道徳の補助的な教材と説明していますが、この本の意図はどこにあるのか、しっかりと見定める必要があるとまで指摘する声があります。さらには国定教科書の再登場ではないかとする意見すらあります。「心のノート」の特徴として、地面や足を軽視し、空や雲、風船やタンポポのわたげなど、空中に浮かぶもののイメージによって、非現実的な雰囲気をかもし出しているという批判さえ出ています。
○…このような批判に対して、当の文科省は「心のノート活用のために」で次のように説明しています。子ども自らが道徳性を身に付け伸ばす意図であると「道徳の内容項目」を説明し、「教師と子どもが人間としてよりよい生き方を求め、共に考え、共に語り合い、その実行に努めるための共通の課題」であるとし、道徳の内容項目は「様々な場や機会をとらえ、多様に進められる道徳の学習を通して、子ども自らが感じ、考え、これからの課題や目標を見つけ、調和的な道徳性をはぐくむための窓口となるものである」と説明しています。
○…「心の教育」は旧態の道徳教育と新顔の心理主義を合体させたものだとの批判も出ています。その意図するものはどこにあるのてしょうか。
…子どもを思わない親がいるだろうか。子にとつて親ほど有難いものはない。
親の恩愛に感謝し、報恩することを「孝」という――というような文章に接すると、私のような天邪鬼は、つい「あなたの親がいい人だった証拠文にはなりますが…」といいたくなります。
教室での読み聞かせ(これはお説教のニューバージョンだという説もありますが)などでも「親が子を思う心情に共感するもの」が少なくないようです。
でも、これってある種、危険を伴なうのではないか、と思うのです。
つまり、虐待されている子どもがその教室にいたら、自分が受けている仕打ちを打ち明けたり、相談したりすることが出来ないのみか、自分が虐待されていることを恥かしい状況と思い、自ら隠すのでは……と。実子虐待もシンデレラの時代からあったわけですから、ある種不変?の確率で出るようです。世の中には例外もあることを、やはりちょつぴりでも触れて欲しい!。
〈樋口雅子〉
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- 明治図書