現代教育科学 2004年6月号
ゆとり教育から学力重視へ転換

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現代教育科学 2004年6月号ゆとり教育から学力重視へ転換

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ジャンル:
教育学一般
刊行:
2004年5月10日
対象:
小・中
仕様:
A5判 116頁
状態:
絶版
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目次

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特集 ゆとり教育から学力重視へ転換
提言・ゆとり教育2年で修正―混乱の背景は何か
矛盾を幾重にも重ねる新自由主義教育政策の破綻
柴田 義松
みんなでやれば怖くなかった「ゆとり教育」
香西 秀信
「学力低下」を予測できなかった文部科学省
有田 和正
正統な知育であれば子供は立ち向かう
占部 賢志
算数の場合―時代遅れの指導要領いじり
横地 清
「歯止め規定」の緩和―現場に何をもたらすか
学校現場はうろたえることなく
山極 隆
授業研究の推進に好機到来
多田 元樹
特色あるカリキュラムづくり
杉田 知之
「学力低下」問題の陰に「授業力低下」問題がある
槇田 健
「学力重視」策―現場はどう応えるか
不易と流行を踏まえた対応
向山 行雄
「学級の力」の再生こそ
岩下 修
子どもの事実に応じてシステムをつくり応えよ
柏木 英樹
「絶対評価」を真に機能させる
堀 裕嗣
「総合的学習」は生き残れるか
成否を左右する校長のリーダーシップ
長南 博昭
総合的学習で「読書」を
山之口 正和
北海道には必要である
新保 元康
「流行」の教育の「目玉」としての「総合的な学習」
徳田 洋広
「個に応じた指導」―習熟度別で解決できるのか
習熟度別で個に応じるとしても
岩垣 攝
条件をクリアーすると、できる
戸井 和彦
習熟度別の前に、「指導の質」こそ問われるべきだ
吉川 廣二
一つの選択肢ではあるが
長野 藤夫
「学力低下」―ドリル学習で解決できるのか
向山型算数は最新脳科学からみても理にかなった指導法である
木村 重夫
ユースウェア面にまで配慮したドリル学習が必要である
板倉 弘幸
百マス計算では到底無理である!
小林 幸雄
ドリル学習ではなくプロジェクト学習を
前田 康裕
小特集 「消えた学力」社会科学力のここを取り戻す
情報量の確保と認識の枠組みの構築
岩田 一彦
『消えた学力』としての「社会から見るわかり方」の復権
片上 宗二角田 将士
手本の模写を通じての発見能力
藤井 千春
教育ニュース・ズームアップ
1)学校の管理運営で中教審答申 2)教委の在り方を中教審に諮問 3)資料・文科省の諮問理由説明
安達 拓二
家庭の教育力の復権 (第3回)
「家庭の秩序」その復権と再建
野口 芳宏
人権教育の再構築 (第3回)
人権としての学力保障は簡単ではない
長尾 彰夫
TOSS授業技量の検定 (第3回)
算数の問題解決学習を裁判に訴える保護者が出てきた
向山 洋一
「志」を育てる教育 (第3回)
ノブレス・オブリージュ
新堀 通也
編集後記
江部 満樋口 雅子

■編集後記

◯…文科省は二〇〇二年度から本格導入された「ゆとり教育」路線に対する「学力低下を招く」との批判を受け、二年足らずで見直しを余儀なくされました。これまで指導要領はほぼ十年置きに全面改訂されてきましたが、文科省は現在「不断の見直し」を打ち出しており、今回は実施から二年足らずで「学力重視」型に移行する一部改訂となったものです。

◯…朝日新聞は「ゆとりから学力重視に」と四段抜き見出しで報じましたが、読売は社説で「誤った教育観が混乱を招いた」とし、改訂は「ゆとり」「個性化」などをキーワードに進められてきた教育路線の方向転換でもあり、何が間違っていたのか明確にすることが必要だ、としています。確かに「指導より支援を」が数年前まで、多くの学校のスローガンでした。子どもの自発的な学習を尊重し、教師による教え込みを極力排除しようとする考え方に基づいていたわけです。

◯…これに対し今回の一部改訂では、指導要領を超えた内容も教えることを認めたり、問題が多いとされる「総合的学習」では教科との関連づけを求めたりしています。産経の主張も「ゆとり教育」を推し進めてきた国が事実上、白旗を掲げ、学力向上路線へ明確に舵をとった画期的な方針転換であると評価しています。しかし一方で「子どもの学習意欲を増し、勉強にいそしませるのが教育行政の役割であるのに、それをおろそかにした国の責任は重い。このような愚策を繰り返してはならない」と厳しい批判を加えています。

◯…いずれにせよ、二年で方向転換したことは画期的な決断といえるようです。本号はその背景と今後の現場に与える実践課題について解明を試みる特集です。

〈江部 満〉

◯…東京では、都教委がチェックを厳しくしたとして話題をよんだのが、式典における国旗国歌の問題でした。

日の丸・君が代が国旗国歌となり、指導要領で明記されていることを承知で、個人の良心を振りかざすのは、やはり公人がする公的場での振る舞いとしては不適切ではないか――と思います。

今年、あるMLでとびかったことのひとつにミニ?公と私の問題≠ェありました。

つまり「わが子の入学・卒業に出たいから、あらかじめ、◯◯学年は担当があたらないように根廻しする」というものです。

その昔、校長職にいた私の父親が「自分の担任した学級の新学期を欠席して、わが子の入学式に出たバカがいた」とカッカ怒っていたことを思い出しました。

そういえば、ついに唯の一度も、どの子の時も学校にいったことがない父親でした。が、子どもは誰も何とも思わなかったのは、多分、その時代の空気≠フセイでしょう。

〈樋口雅子〉

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