- 特集 「子ども中心主義」教育の批判と克服
- 提言・「子ども中心主義」教育のどこが問題か
- 「愛情」と「技術」のコラボレーションで子どもの力がつく
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- 《子どもが王様、教師は家来》となること
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- 「観念的子ども中心主義教育」ではなく「子ども発展主義教育」をこそ期待する
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- 思想の正しさと実践の正しさ
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- 「具体」を拒絶する排除の論理
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- 総合的学習は「子ども中心主義」の具体化か
- 教師の指導で、子どもは自ら学びをつくる
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- 知識、知識、知識
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- 職場体験学習で生徒は《生き方》を学ぶ
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- 「ゆとり教育」と学習到達度の明確化は矛盾しないか
- 「三者」で学力保障の説明責任・結果責任を目指す
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- 「ゆとり教育」と学習到達度の明確化を矛盾させてはならない
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- 到達度の明確化の「光」と「影」
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- 「子ども中心主義」の国語科授業の問題点
- 一人学び・課題解決学習の“幻想”
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- 国語科にまつわる俗説の跋扈―それを破れぬ実践人の弱さ―
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- 教師が出る場を明確にして
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- 「子ども中心主義」の算数・数学科授業の問題点
- 「子ども中心主義」の算数・数学授業は学力保障の放棄、怠慢教育正当化の詭弁である
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- 教科書の挿絵の変遷は、算数問題解決学習の弊害か
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- できない子がますますできなくなる
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- 「子ども中心主義」の社会科授業の問題点
- 「自発的活動」の過度の強調
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- 極端な「子ども中心主義」は、弊害が大きい。何事も中庸が肝心だ
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- 教師が必死で調査し研究し組み立てるから、より高度な概念に到達できる
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- 「子ども中心主義」の理科授業の問題点
- 「這いまわる経験主義」で教育力低下
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- クラス全体で追究する課題は教師が定める
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- 子どもの事実を無視したやり方こそが問題だ
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- 戦後の授業研究の歴史 (第12回)
- 成果を継承し課題と向き合い活力をひらく授業研究を
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- 親と教師の信頼関係づくり (第12回)
- ある「いじめ報告書」が語ること
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- 理科は感動だ! (第12回)
- 理科教育に活力を!
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- 法人化国立大学の苦悩―学部長奮戦記 (第12回)
- 異業種から学ぶ大学マネージメント
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- TOSS授業技量検定の成果 (第12回)
- 今までの教師修業とTOSS技量検定は在来線と新幹線の違いがある
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- 教育課程の見直しに参加して―中教審委員の一人として (第12回)
- 教育課程の国家基準はどう具体化されるか
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- 編集後記
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■編集後記
◯…「ゆとり教育」は学力低下を招いたとする批判の前に、かなり揺らいでいるとする見方がある一方で、従来の知識を伝達する教育よりも、「自ら学び、自ら考える力」を育てることの方が重要であるとの声もあります。
◯…いわゆる「児童中心主義」は、十九世紀末から二十世紀にかけて、ヨーロッパやアメリカを中心として世界的に影響力をもった新教育運動の中心思潮でありました。「子どもの自発性、個性、経験や興味、創造性などを重視し、教師中心主義の教育を子どもの側から徹底的に改造しようとした思潮」(『現代教育方法事典』から)でもあります。戦後の二十二年版学習指導要領にもこの考え方が強く反映されていますし、国語や算数の生活経験主義の単元学習論や社会科の問題解決的な学習活動や体験的な学習活動にも表れています。
◯…苅谷剛彦氏が指摘されているように「二〇〇二年からの学習指導要領がめざす生きる力≠フ教育は、この新しい学力観≠ノよる教育の延長線にある」わけで、「八九年改訂の学習指導要領のもとで、日本の教育は子ども中心主義≠フ考え方を取り入れてきた」(『教育改革の幻想』から)といえます。
◯…本誌十月号の特集は「戦後教育との決別」でした。中でも「子ども中心主義の教育は誤りか」の項では、現場から「子どもを大切にした授業とは、子どもの事実を伴わなければならない」とし、「いくら教師の教育観が崇高でも、そこに子ども自身が満足する事実がなければ意味がない」(田村治男氏の提言から)と批判されていました。本号は「子ども中心主義」教育の問題点とその克服の方向をお示しいただく特集です。
〈江部 満〉
◯…「日本の教師よ、国旗・国歌≠強制的に歌わせるような恥さらしな真似に甘んじるのか? それとも、授業の中で日本人の気概≠育てていくのか、道は二つに一つである。」
公立小学校の教師が小社刊『学校マネジメント』2月号「日の丸・君が代問題=ぶれない対応の焦点」という特集の中で書かれた結びの文言≠ナす。
この特集では、岡本薫先生が「法律などのルール≠ヘ、その集団の構成員が人工的に作るシステムであり、かつ全員が守らなければならないもの≠ナすが、これに対してモラル≠ヘ、思想・信条・良心の世界に属するものであって、各人の自由≠ナす。」と、明快に指摘されています。
先に引用した女教師のそれは、「ルールを守ってはいけない。それはモラルハザードの行為というだけでなく、人間失格だ」と公言しているといえるでしょう。
同じ号で「ここまで見事に前言を翻す(ページの上では後言となりますが―)論を並べた編集企画者は誰れだ!」と、自分自身に対して物言いのひとつもいいたくなりました。
〈樋口雅子〉
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- 明治図書