- 特集 “日の丸・君が代”問題=ぶれない対応の焦点
- “日の丸・君が代”と地裁判決―私はこう思う
- 強制しないと式を乱すからだ
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- 国旗・国歌を誇りに思う
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- 内心の自由は当然制約され得る
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- 「国際慣習」を教育する責任
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- 潜在的カリキュラム理論による解釈―地裁判決の影響を考えよ―
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- 理解を深め正当な判断を
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- 国家のある限り国旗・国歌は行うべきだ
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- 日本にも立法府が存在したらしい
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- 「起立・斉唱」は教師の仕事だ
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- “日の丸・君が代”と地裁判決―納得した論調と現場を知らない意見
- 学校は、「どう充実させるか」の議論をすべし!
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- 教員の市民的自由と生徒の思想・良心
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- “座ったまま教師”がいる記念式典の光景―児童生徒・保護者にどういう記憶として残るか―
- 国歌は礼儀。礼儀は教育で教える他ないのでは。
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- 式典とは心を一つにして祝う市民生活の行事である―儀式、式典の教育的な意味、価値の再確認を―
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- “日の丸・君が代”と公立校の混乱→衰退の構図―自然に進む“教育の民営化”がもたらす?もの―
- 保護者の期待に添えない公立校は、淘汰も?
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- 学校が、その町から退場を迫られることも
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- 競争よりも共同へと公教育の信頼度を高めたい
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- 学校の役割は終わったのか
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- 法律論から見た“日の丸・君が代”の地裁判決
- 子どもへの差別判決?―「心の教育」にも憲法判断を―
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- 疑問の多い特異な判決
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- 教育論から見た“日の丸・君が代”の地裁判決
- 教育基本法の構造的欠陥を浮かび上がらせた東京地裁判決
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- 現場の実態を知らない時代錯誤の判決
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- 地裁判決賛同派への疑問点―この言い分にはこう言い返せ!―
- “内心の自由”だったら外向け表現は不要では?
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- “日の丸・君が代は軍国主義”だったら代案出すの?
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- 生徒の記念式典を私的主張の場にしていいの?
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- 内心の自由は教師が守ったり育てたりするもの?
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- “日の丸・君が代”は自然のままに定着するって?
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- “日の丸・君が代”の政治的解釈を良心の問題にすり変えている?
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- 都教委賛同派への疑問点―こういういい分にはこう言い返せ!
- 国旗・国歌の「強制」は「不当な支配」か?―「公教育」の意味をはき違えるな!
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- 処罰・提訴の繰り返しは混乱を助長するだけ?
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- 少数意見尊重は民主主義の証では?
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- 国旗・国歌を指導しない「心の教育」不在が元凶?
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- 教育の場に“強制や処罰”は混乱を招くだけでは?
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- グローバル時代に国旗・国歌がそんなに大事?
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- 今だから証言“日の丸・君が代”をめぐって〜あの時、私は〜
- 凡夫の自覚
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- 「日の丸・君が代」をめぐる混乱体験がない
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- 本当に日本が良くなると思った
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- あのエネルギーも愛国心だった!
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- “日の丸・君が代”アーカイブス「あの記事」の再録と今、思うこと
- 国旗・国歌に対する態度の指導
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- “日の丸・君が代”をめぐる論争史
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- 講話にも使える“日の丸・君が代”
- 世界の国旗と対比した“日の丸”
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- 世界の国歌と対比した“君が代”
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- “公務員の則”でとらえよう日の丸・君が代問題
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- “日の丸・君が代”係争の歴史&校長受難史―反対で死んだ人はいないが、ハザマで死んだ人が出る問題―
- 「どっちにもつけない」多くの人の苦渋
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- 組織的対立を人間的軋轢と感じて悩んだ末の悲しい決断
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- 国旗・国歌の指導がもつ二つの意味
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- 子どもが盛り上がるわが校の行事イベント (第11回)
- 「日本の伝統に学ぶ」和装礼法教室
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- わが校の学校図書館 (第11回)
- 図書館は生活の場(埼玉県児玉郡神川町立神泉小学校)
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- 医師と教師―1人前になるシステムを考える (第11回)
- 優生学と障害者
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- 教師を元気にするコーチングの活用 (第11回)
- 教師の心をつかむ
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- スクールマネジメントの基礎―国政レベルの議論失敗から学ぶもの (第11回)
- 「手段選択」の問題〜その1〜
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- 〜「心」や「意識」を安易に持ち出すな〜
- “管試問題”に見るこれからの学校経営者像 (第11回)
- 誰が「決断」するのか
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- 若手への意見のし方 心得帳 (第11回)
- 若手にとって、あなたは「メンター」か?
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- “ウリ部分”をつける新しい教員研修 (第11回)
- 教員の自立
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- 地方分権で教育課程編成はどう変わるか (第11回)
- 教育課程の基準性と規則緩和
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- 編集後記
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- 藩校を訪ねて (第11回)
- 朱子学にとらわれない幅広い教養と儒学道徳を重視した「学習館の教育」
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編集後記
○…読売新聞によると、現場の一部?では、「1999年に国旗・国歌法が成立するまで、入学式で国歌を斉唱していた都立高は20校に1校程度。国歌斉唱時、生徒と保護者は起立しているのに、校長と教頭以外の教員が着席していたり、教諭がジャージーや実験用の白衣で出席したりすることも珍しくなかった」といい、元校長の一人は「新入生を温かく迎えようという気持ちが学校にないといわれても仕方のない状態だった」と話しているといいます。「国歌を流すテープレコーダーのスイッチを誰が押すかでもめたりし、具体的に決めないと正常な入学式が開けないのも事実」だったとか。
このような状態が少しは改善?されつつあるといわれてきた矢先、地裁レベルとはいえ、この判決で、またぞろ、その昔に都立高校がもどるとしたら〜。それこそ、東京では多分、ますます公立校離れが進行することになるのではないか―という気がしてなりません。
混乱する学校現場にあえて師弟を通わせたくないと思う親がふえることは必定でしょう。
そういう状態にならぬよう、どうすればよいのか、この問題を切り口に考えていけたらと願いました。 (樋口雅子)
○…教育再生のための論議が盛んである。安倍首相直属の教育再生会議では、来年一月に第一次報告書を打ち出す方向のようであるが、中でも@ゆとり教育の見直しA保護者らも参画した教員評価制の導入B教育委員会の見直しが柱となるようだと新聞が報じている。ゆとり教育=亡国論が盛んなおり、見直しは当然といえる。一日七時間授業や夏休みの短縮などで、授業時間を増やすこと、さらに主要教科の授業時数を重点的に増やすことなどぜひ検討して欲しい。特に各学校が具体的な授業時数を決められるように、学校の権限を強化することも必要だ。
○…いじめ問題で問われた教育委員会の指導力不足は顕著だ。かつての文科相だった塩川正十郎氏など明快な提案をしている。「教育の主体は教育現場を一番よく知っている市町村に、都道府県は調整する役、分担を明確にする必要がある。教育委員会は、委員長に権限はないと無責任だから、廃止する」というわけだ。賛成である。他方で公立学校が市場化の荒波を逃れるには、公共機関らしく地域住民に信頼されるようにという寺脇研氏の提唱もあるが―。
(江部 満)
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- 明治図書