- 特集 追いたてられる教師たち―変貌する教育労働―
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今月のメッセージ
自分にとっての「意味」を問う
常任委員 後 藤 義 昭
県民教の夏の集会で、「総合的な学習の時間」の諸矛盾を現場の先生方が討論していた時、教員でない高齢の参加者が立って発言した。「そんなに問題があるのなら、その時間をやめることはできないんですか」――唐突な印象もあって、苦笑を浮かべる先生もいたが、一方でそれがホンネだという思いも会場には広がった。『裸の王様』の子どもの言葉への共感に通じるものがあった。その後の分科会では、「不登校・ひきこもり」の子どもたちは学校・社会の生み出す矛盾を先取りして感じてきた存在だ、という指摘に、父母の参加者の多くがうなずいていた。
「おかしい」と思いながらも、制度・枠組として押しつけられてきたものを受け入れ、少しでも適応しようとする生き方に、疲弊と苛立ちが募っていく。あるいは、矛盾を修正しようと努力することで本質的な矛盾をかえって隠蔽し、枠組を支える側に回ってしまうこともある。そうするうちに、「自分が自分でありたい」という願いに、自分自身が正面から向き合えなくなっていく。
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中学三年生の国語教科書(教育出版・平成一四年度)に、『情報社会を生きる』(半田智久)という新しい文章が載っている。
・高度な情報社会では、たくさんの「情報」を得ることが「知識」を豊かにすることだという誤解が生じやすい。
・「情報」は共通でも、それにどういう「意味」を与えるかは、個人の「知識」による。
・「なんか変だな」「どうしてかな」という問いが頭をよぎるのは、「知識」が「情報」を吟味するということである。
・「知識をはぐくむ学び」が求められている。
ITの分野をはじめとして、技術の革新はめざましい。競争に勝たなければ生き残れない現実の中で、疑問を持ち、立ち止まろうとする者は、流れから取り残され、落伍者のレッテルを貼られる。
そこでは、根源的な問いを発すること(=哲学的な探究)は制度・枠組から嫌われ、封じ込まれる。「制度知」は、そういう形で同じレールの上を走ることを人々に強要する。
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与えられた「情報」を吟味し、その「意味」を問うていくことを止めてしまえば、矛盾は当然のこととしてまかり通っていく。例えば、次の視点はわかりやすい。
通常国会の有事法制関連3法案の審議過程で気になったのは、「自衛隊は〇〇が出来る」など、自衛隊を主語とする議論が進んだことです。技術的に、自衛隊が活動できる範囲を確実に決めようというのが、今回の流れでした。逆に言うと、本質であり、最初になされるべきであるはずの、「国民を守るためにはどうすべきか」という論議はなかったのです。(加藤陽子「戦争を学ぶ意味」=『アエラ』aj
「〇〇が出来る」からやるのか、根源的な問いから出発するのか――その岐路は大きい。
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とはいえ、後者は現実には強い軋轢を生む。流れに同調しない生き方には、どのような形があるのか。
一つには、「異質」であることを自らのアイデンティティーとして貫くことである。しかし、これは「孤高」を生きることであり、他者との関係性を自ら手放すことにもなる。
多くの場合、良心的な人は「おかしい」という思いをまわりに表明する。けれど、声を上げても応答されない、すなわち枠組の中では承認されないということが、関係性を求めながら得られない「疎外」を大きくする。そうだとすれば、既成の枠組そのものを相対化し、自分にとっての本当の「意味」をそれぞれに問おうとする者同士が、新たな「共同」を模索していくしかないのではないだろうか。
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- 明治図書