- 特集 奇妙な子ども群の登場―生活文化を教える―
- 奇妙な子ども群の登場―生活文化を教える―
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- 問題提起 奇妙な子ども群の登場/生活文化を教える
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- 子どももつらいが、親もつらい
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- 「奈美の物語」
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- 「奇妙」というレッテルの背後
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- 生活文化の復権を―「いのちのストーリー」との出会いの中で―
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- Q&A 奇妙な子ども群の登場―生活文化を教える―
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- 第2特集 今、大はやりの幼児教育とは
- 早期教育の中で不安な子どもたち
- 「しつけ」という名の家庭内早期教育
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- 幼児期を生きる子どもたちとともに創る保育実践の困難と希望
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- 「早期教育」の社会的背景と問題点
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- 関係図書紹介
- 主な早期教育関係図書
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- 今月のメッセージ
- 生活の深部からの生活指導を
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- 風の声―この人に聞く
- 愛知県高校生フェスティバル
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- 21世紀の生活指導を探る (第8回)
- 自分と出会い、他者とつながる
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- 集団づくり―わたし流メソッド
- 小学校/教職員の合意を大切にした全校集団づくりを
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- ほっとたいむ サークルからの発信
- リフレッシュして再始動
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- 『共同グループを育てる―今こそ、集団づくり』
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今月のメッセージ
生活の深部からの生活指導を
常任委員 岡 野 弘
新入生の中に化学薬品に対するアレルギーを持つ子がいるので、薬品使用の少ない第二理科室で授業を行っていた。植物の観察をしているときのことである。
「先生。わたし、マツの花粉がいちばんダメなんです。」
「……?」
「アレルギーなんです。呼吸が止まりそうになるんです!」
と、訴えられた。
その後、薬品も使わず花粉も登場しない光の学習――ゴム管をのぞき込んで光の直進性を確かめる実験のとき、
「先生。実験しなくていいですか?わたし、ゴムアレルギーなんです。」
と、言われる。
三年生を送り出して新入生を迎えるたびに、子どもが様変わりする。今回は、アレルギー、アトピー、喘息などといった子どもの多さに驚かされている。
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数年前の荒れた学年においては、無力感と脱力感からか、授業に出ずに廊下等に溜まり徒党化し逸脱行動を繰り返す生徒たちに手を焼いた。連日「ぶっ殺してやる」とわめき散らしながら、コンクリートの壁をたたいているうちに自分の拳を骨折してしまう等の興奮のし方・いらだち方の異常さに驚かされた。
そうしたときに、多くの生徒は、壁などをがんがんと大きな音でたたいている彼らとそれを制止しようとしている教師の横を、平然とまたは友だちとじゃれ合いながら通り過ぎていく。批判もしなければ同調もしない。まるで空間が感情の断絶という仕切でいくつかに区切られているような異様さに戸惑わされた。
また、かれらの保健室通いの多さには困惑させられた。問題傾向・登校拒否傾向の生徒はもとより、少なからぬ生徒が身体不調を訴えて保健室に行く。早退すればよいのだが、それをいやがる。
当時、そうした心身の未分化から抜け出せない姿や、家庭・学校間に宙づりになっている姿などの中に生活指導の課題を見た。
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しかし今、事態はいっそう深刻化している。
アレルギーのために給食を食べられず弁当を持参する子。摂食障害のために小学校から入院し続けていて面会謝絶のためにまだ会ったことのない子。化学物質アレルギーのために、ペンキやワックス等々の粒子の漂う教室に入れないばかりか、自宅からの外出もままならない子ども……。
こうした人間存在の基底の部分までもが脅かされているのではないかと思える子どもたちの層の上に、次のような神経症的・心身症的傾向を示す子どもの層がのっているように見える。
言葉がはっきりせず、あまりの早口のために他者とのコミュニケーションがうまくとれず、トラブルを頻発し、ときには窓から飛び降りるまねをしてみたり、自他の頭に血が出るほどボールペンを突き立てる子。小学校から不登校を繰り返し、帰りの会で明日の連絡をメモ帳に写すのに、放課後二時間もかけ脅迫的儀式を繰り返し、それを打ち切るように指示されるとパニックに陥り幼児のように床にひっくり返り泣きわめく子ども……。
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「教育こそ最高の治療」といわれるそうだが、私たちはどこにその課題を見たらよいのだろうか。現代社会の生活のあり方がこうした子どもたちの姿をつくりだしているのだとしたら、表層の関係論にとどまらず、もっと生活のあり方の深部から生活指導を探求していくことが求められているのだと思う。
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- 明治図書