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今月のメッセージ
子ども、親、教師とつながる
常任委員 小室 貴
私のとなりの年配の婦人教師が夏休み前に今年で教師をやめると言いだした。
「おもしろい授業をと子どもは言うけど、そんなにおもしろいことをくみたてることなどなかなかないのよ、あのうすっぺらな教科書よ」
「学校がつまらないという声が子どもから聞こえてくるけど、私のほうがもっとつまらないわよ。教師がつまらないのだから、子どもがつまらないというのは当然よね。選択だ、総合だと騒いだわりに、いったい何だったの」
「友人の学校では、通知票までパソコンでやれと言われたのよ。私らの年齢で、いまさらやれないわよ。自分たちはいらないと言われているようなものよ。もうやる気がなくなったというより、居場所がなくなってしまったのよ。市内でも、今年でやめる人が何人もいるのよ。もういいわよ」
私は聞きながら、「先生に話をきいてもらいたいと願っている子どもがたくさんいるのですから、一年でもながくやって下さいよ」としか言えなかった。
市内の多くの学校で、元気なのはパソコンと部活動を熱心にやっている教師だけというのが共通した声になっていて、部活動の成果をでかでかと校舎の外にはりだす学校がやたらとふえだした。部活動の成果が学校の目玉となった感があり、わざわざ、部活動の盛んな学校に転校していくこともめずらしいことではなくなった。
先日、市内のT中学校で、校長の暴言に腹をたてた中学三年の男子が校長室に乱入し、暴力事件をおこし、逮捕される事件が報道されていたが、学校の秩序からはみでる子どもを排除する傾向が強まってきている。多くの学校は「私の学校には異装の生徒などいなくて、安心してすごせる学校ですよ」ということが売りのひとつになっているかのようである。異装、茶髪などに極端に神経質になっている管理職がふえてきた。
学校とはいったい、何をするところだったのだろうか、私たちの教育労働とはそもそもどんなねうちをもっていたのだろうか、急速にみえなくさせられてきている。
私の学級は、すぐにキレて暴力的になるH男、学校不信にかたまり、敵対的なK子、すべてに否定的なM子、なんでもありのT子、授業拒否のK男、孤立しているF子やB子などヘルプを求めている子どもがたくさんいて、学年の教師から、「よくも、あんなに集まったね、疲れる一年間になるよ」と言われ、子どもからは「問題児ばっかり集まっていて、これからやっていけるのか不安だ」という声が聞こえてくるなかでのスタートだった。
いろんな人がいるということは、それだけいろんな人の理解をできるチャンスであり、それは自分を深く知ることでもあり、めぐまれたと思えばいいと子どもにも、私自身にもことあるごとに言いつづけた。教師の都合で子どもをひきまわすことが多い今の学校のなかで、自分らしさをなんとかだしながら、子どもと誠実に向き合い、対話しつづけていくことで、子どもとつながっていったと思える。
親からも心配する声があがり、親との懇談会を定期的にもち、親どうしの話をじっくり聞くことにした。「うちの子は問題児だからそんな集まりには出席できないよな」と子どもに言われた母親が「いちばん悩んでいる親がこんな集まりを求めているのですよね。どんどん、悩みをだしていいんですよね」と言うまでになってくれ、親どうしも子どものことをだし合う対話のなかでつながりだした。
私は「今年の学級は大変だ」と職員室で、会議でどんどんだしていき、どういうふうに子どもを理解し、子どもが求めているものが何なのかを共に考えてもらった。
子どもの願いを教師集団としてつかむ作業を、共同してやっていくことなしには展望も希望もない。
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