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今月のメッセージ
「指導」のゆくえ
常任委員 折出 健二
弁護士・多田元氏の話を聴く機会があった。氏は、数多くの少年事件に付添人として関わってきているが、以前から、付添人は「子どものパートナー」であると主張している。
氏が「パートナー」だというのは、その活動には次のような原点が求められるからである。
1 指導しない。援助者として関わる(少年を見捨てないで一緒に歩む。肯定的に認める視点を持つ)。
2 子どものことは子どもから学ぶ。相互関係を大切にする。
3 プロセスを大切にする。
全生研の教師には、三つともほぼあてはまるともいえるが、一つ目の「指導しない」だけは、やや異質に見える。いったい、どういうことだろうか。少年が立ち直っていく過程を氏の関与したいくつかの事例にそってうかがっていくと、その疑問は解けてきた。
昨年、ある児童自立支援施設で、入所している少年たち(中学生を含む)が職員を殺害するという重大な事件が発生した。加害の少年は今までにありのままの自分を他者に受け入れてもらった体験がなかった。立ち直るために入所したその施設でもそれがまったくなかったと、本人は断言したそうだ。その少年は、付添人である多田氏によって、自分の気持ちをはじめて聞いてもらえたという。そのことで、しだいに彼は被害者のことを考えることができるようになってきた。
非行の当人が立ち直る上で重要な関係性は、何よりもまず当人にとって「安心」「自信」が得られるとともに、「精神的自由」が保障されることである。それではじめて、当人が自己決定できる。そのために、多田氏は、徹底して対話による関係性づくりに努めている。実践者(司法の実務家)として子どもを肯定的に認めることで、当人の中にみずからの行為の加害性・罪と向き合おうとする意志を育てていく。氏はこのプロセスが大切だ、という。
実は、全生研が「指導」のありかたとして探ってきている主題もそこにある。
では、わたしたちは、「指導しない」と言うかというと、必ずしもそうではない。
わたしたちは、むしろ多田氏の関係性づくりの過程を「生活指導」と呼んでいるのではないだろうか。現にある生活指導を批判的に捉え直し、新たに上述の関係性にたつ「指導」の構築をめざして、実践と研究を重ねてきていると言った方が当たっているであろう。
もちろん、多田氏とわたしたちの間にある、弁護士と教師との立場の違いは認めねばならない。が、ここには大事な共通点がある。「指導」するときに、「わからせよう」「教えよう」「悟らせよう」として、子どもを支配し、実践主体の価値規範に順応させてしまう。これは教師という権威に依拠した子どもの統制である。そうならないために、上述の関係性を常に基本におくようにしている。多田氏の言う「指導しない」とは、実は意味する事柄は否定形の逆で、実践者(実務家)が子どもを肯定的に認める自分の能力をいかに発揮していくかをあらわす言葉なのである。
最近、全生研では「出会い直し」ということが言われる。これも、「指導」的関係がおちいりやすい規範従属性・権威順応性を、子どもから学びながら内側から打破していく関係性をあらわしている。この意味からも、生活指導の「指導」概念は、以前の訓練論的目的行為から、民主的で自立的な生き方をめぐって相互に影響し合っていく関係性構築の行為へと変わってきている。今後さらに、「指導」は、市民としての相互自立の関係性を追求する共同的行為へと変わっていくであろう。
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