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今月のメッセージ
子どもと子どもがつながるために
常任委員 安島 文男
今、子どもたちにとって切実な問題は友だちとどうつながるかということであろう。
その「つながる」という課題を生活世界の貧困化から追求しているのが今年の全生研基調提案である。そこで「つながらない」、もしくは「つながれない」という事態を「つながる」ための課題として明らかにするため、一日の生活の記録とアンケート、さらに聞き取りをしてみた。「楽しかった日、つまらなかった日」の記録や「放課後、友だちと一緒にしたいこと」「父親の出勤、帰宅時間をしっているか」等である。予想はしていたが、かれらは教室でのみ孤立しているのではない。孤立が生活世界の常態となっているということである。そしてそのことに無自覚な子どもがいるかたわら「つながる」ことに不安、恐れを抱いている子どもたちがいる。こうした子どもたちはコミュニケーションスキルや対人関係の距離のとり方を課題とする以上に、自分を尊重し安心を与えてくれる他者を求めている。そこではじめて自分を出せる子どもたちである。
こうした子どもが増えるにつれ、子どもと異様に丁寧な言葉遣いでやりとりをする教師が増えている。そこには子どもと無用な対立を避けたいという思いや人格を尊重してということがあるだろう。同時に子どもの不安をすこしでも解消したいという行為でもあるだろう。
同じことは、暴力にスポイルされているかれらの自我についてもいえる。数年前、ナイフの問題やキレる子どもの攻撃性・暴力性をパワーレスとしてとらえた。今の子どもの孤立化が「つながる」ことへの切実な希求と同時に恐れも抱いているとしたら、かれらの攻撃性・暴力性には自分の弱さを受けいれられない問題とともに他者を理解できないということの恐れがある。また、自分を受容しない他者への攻撃性としてもあるだろう。それでいて孤立していては息苦しい集団の状況から友だちを求めグループをつくろうとし、その友だち関係にしがみつく世界を生きている。
こうした子どもの引き裂かれた状況は中学生に顕著なのではないか。総合的な学習の時間や選択授業が学年横断的な活動形態として日常化することにより、ただでさえ相対化されていった学級集団はますます「組」としての性格を失っていった。それは学級集団のなかに親密なグループをつくりだせなくなった子どもたちが学級を超えたグループにこだわり、部活のなかに親密さを求めていった傾向にあらわれている。だからいじめ問題も学級のなかで生ずるより学年や部活のなかに起きることが多くなったわけであろう。
しかし、子どもの生活世界の貧困化には現代人の孤立して生きる姿がオーバーラップしてくる。企業が巨大化するにつれ卑小化していく個人、イノベーションからドロップアウトしリストラの対象となる不安、そして何よりつらいのは新たな生き方の模索のまえに個人の努力が無力化される社会となっていることである。私たちは子どもともどもつながりを断たれてアトム化し、浮遊していかざるを得ない社会を生きている。いや、生活世界そのものが浮遊しているのかもしれない。もし子どもたちがそのように感じつつ生きているとしたら、なおさら基調提案が述べるように生活世界の自治的再生を子ども世代の課題として見とおすなかに現実を据えることができなくてはならないだろう。そうして自分のおかれている現実を社会のなかに直視することによって課題を共有し、またそのことによって不安と恐れを対象化し、「つながる」ことの共同活動を立ちあげ、平和にひらかれた生活をつくりだす。
このことは今、子ども世代の課題とする以上に私たち大人世代に求められている課題ではないのか。だから、日常の実践は大人である私たち自身の孤立を大人社会の貧困化として問いつつ、目の前の子ども一人ひとりの「つながり」を追求していくことでともどもに共同を実現していく。
子ども集団づくりは、そこに展開され、自治を具体化していく。
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- 明治図書