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今月のメッセージ
運動会を「学びあい」の場に
指名全国委員 住野 好久(岡山大学)
三人の子どもがみな小学生である私にとって、子どもたちの運動会を見に行くことはとても楽しい。待ち時間なく、次々と登場してくれる。最近はPTAの役員ということで来賓席に座り、絶好のポジションから写真やビデオを撮影している(もちろん、PTAのHP用に)。
ところで今、運動会の練習のために授業時間を削ることへの批判の声が大きくなっている。その背景には親たちの「学力低下」への不安がある。その中で、正規の体育の授業でしか練習しない学校、練習時間を減らすために踊りや応援合戦など学年・赤白組単位の競技を縮小する学校も出てきている。
運動会の指導においては、身体運動的・文化的に豊かな内容で、授業をつぶしてまで子どもたちの自治的な準備、運営を組織するべきか、それとも、たいした練習が必要ない内容で「集団行動、規律と責任」「最後まで全力を」といった目標を重視すべきか――。いや、もはや前者のような運動会を追求するのは物理的に困難になっており、無理にこれを追求しようとすると「押しつけ運動会」になってしまう。後者では運動会を道徳教育の場に矮小化してしまう。
私は、今求められているのは、子どもたちが豊かに学びあうことのできる運動会ではないかと思う。すなわち、運動会の競技やその練習、準備・運営について、どうすればより身体運動的にも、文化的にも、組織論的にも、関係論的にも質と価値の高い運動会ができるかを、みんなで探究しあい、運動会や仲間、そして自分についての認識を深めていく過程のある運動会である。この「学びあう運動会」の特徴を、運動会の学級対抗大縄跳びで、心身に障害を抱えた矢部と「一緒に跳ぶのが平等なのか。外すのが思いやりなのか」をみんなで議論し、矢部と一緒に「奇跡」を起こした学級の活動を感動的にドキュメントした、柏木修さんの『みんなで跳んだ』(小学館、二〇〇一年)の実践を通して示そう。
@運動(会)することの価値や意味を学びあえる運動会
競技の練習をただ根性論的繰り返しで行なうのではなく、どうしたらみんなでうまくできるのかを運動技術論的に探究し、みんなでできたことの価値を共有することである。あるいは、運動会の準備・運営を既存のマニュアル通りにするだけではなく、もっと価値ある内容や方法を探究し、創造することである。柏木実践においては、大縄跳びで矢部と一緒に跳ぶために「抱っこ作戦」をするなどみんなで跳ぶための方法・技術が工夫され、その結果みんなで跳べたことであり、勝つことよりもみんなで跳ぶことにこそ価値があると大縄跳びに対する考え方を深化させ、その認識を共有したことである。
A一緒に運動(会)する仲間や仲間との関係について学びあえる運動会
競技の練習や運動会の企画・準備・運営過程において、民主的な討議・討論と、自分たちで決めたルールや分担に基づく協働を通して、仲間との出会い直しをつくり出し、民主的共同の世界を築いていくことである。柏木実践では、矢部の参加をめぐって議論する過程で、矢部を入れようと提案した金沢の思いや「なんでいまごろ」と主張した緒方の思いが共感的に読み拓かれ、学級にとって矢部はどんな存在なのかが問い直され、学級集団の友情と団結力が高められている。
B新しい自分を発見でき、自己認識を深められる運動会
運動会に取り組む過程で、子どもたちが新しい自分を発見することである。できなかったことができるようになった自分、みんなといっしょに最後までがんばることができた自分、運動会の目標は勝つことだけではないことに気づいた自分との出会いである。柏木実践では、勝つことにこだわっていた福山の「〇回や一回で楽しくできるはずがないと思っていたのに、実際、こんなに楽しくて嬉しくなるとは思いませんでした」という文章、矢部の「大縄跳びでは絶好調でした。ぼくには自信がありました」という文章に、新しい自分との出会いを読み取ることができる。
これら三つが同時に追求される「学びあう運動会」であれば、授業時間を使って練習してもいい!
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