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今月のメッセージ
全国大会に集う
全生研常任 高原 史朗
いつのレポートだっただろうか。わたしは「好きなもの同士の班替え」の是非をめぐる話し合いを報告した。
「最後に余りが出たらどうするのか」
この論議の中で「好きなもの同士」を中村君が強く主張していた。山田君の、勇気をふりしぼった
「余った人の傷は深いと思う。ぼくはそういう経験がある」
という発言にも、「俺ぜったい好きなもの同士」としか彼は言わない。「おい、今さら意見変えるなよ」「いいじゃん、採決で」「そんなの大丈夫、大丈夫」と彼は言い続けた。わたしは、「好きなもの同士」の作り出す課題がうやむやになる気配を感じ、論議の時間を延ばさざるを得なかった。わたしは中村君にいらいらしていたのだと思う。
レポート分析の担当者から次のような指摘をいただいた。
「なぜ、中村君はそれほどまでに好きな者を主張するのか」
わたしにはまるで考えの及ばない視点だった。私には中村君が、人の気持ちの分からない、自分の主張ばかりを繰り返す生徒に見えていたのだ。それが急に、「好きなもの同士」を切実に必要としている、友だちとうちとけるのに時間のかかるさびしがり屋に見えてきたではないか。
こんなことを思い出したのは、今日が支部の大会だったからかもしれない。
二〇年以上いっしょに活動してきた同い年の仲間のレポート分析だった。彼女は転任一年目で、大荒れに荒れた中三に遭遇していた。クラスの役員を決めるにあたっての「最初に学級委員を決める」という彼女の宣言が暴言の嵐に見舞われるのである。
「なんでそんなことすんだよ」「そんなのどうだっていいじゃん」
「さっさと決めようぜ」「馬鹿じゃん」
「うざ!」「死ね!」
リーダーとして見込んでいた京子までもが暴言を浴びせる。この当然とも思える宣言への、リーダー候補の暴言に彼女は唖然とする。しかし、それでも彼女は決して譲らず、何時間かをかけてリーダーを選出するのである。その姿勢が大きな意味を持つことは言うまでもない。しかし、以前のわたしのレポートのように問題設定をし直してみる。
「なぜ、京子は暴言を吐いてまで、最初にリーダーを決めることを拒否したのか」
すると、荒れに荒れた集団の中で、素直に「はい」と立候補できない京子の苦悩が見えてくる気がする。と同時にそのしたたかさも。京子は係りや委員をいっぺんに決めてうやむやのうちにリーダーを決める形でしか、この集団の中ではやってこられなかったのかもしれない。
いよいよ全生研岩手大会をむかえる。
全国各地からの実践を仲間とともに分析するということは、このように、さまざまな自分ひとりでは持つことのできなかった視点を手に入れることができるということでもある。つくづく「学び」とは自分ひとりで作り出すものではない。そしてわたしたちは決してひとりではない。わたしは、そのことを何度でも確かめたくて大会に来ているのかもしれない。
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