- 特集 子どものために相互支援のネットワークをつくる
- 特集のことば
- 子どものために相互支援のネットワークをつくる
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- 1 排除のネットを切り、支援のネットを立ち上げる―子どもと共同して地域に取り組む―
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- 2 共に歩き続ける〜ユキコの自立を願って
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- 3 つながりあい、つなぎ直しあう
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- 分析論文
- ネットワークの要は明確な支援目標とキーパーソン
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- 関連論文
- 「お互いにつながって生きる」ための支援ネットワーク
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- 第2特集 全生研第53回全国大会基調提案
- 基調の課題
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- 子どもの存在要求、発達要求に応える生活指導運動を展開しよう
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- 関連論文
- 障害を有する子どもに学ぶ「存在要求」と発達要求
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- 関連報告
- 子どもたちの声に応える教育と学校を
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- 今月のメッセージ
- 子どもの願いをまんなかにして
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- 私の授業づくり (第29回)
- 小学校〈国語科〉/表層の読みから深層の読みへ
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- 〜技法(作者の工夫)からテーマに迫る〜
- 中学校〈数学科〉/そんなん無理やで―それが「無理数」、それでも、解る楽しさを
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- 実践の広場
- 子どもの生活・文化・居場所
- 探究学習で伝統工芸に出会う
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- 子どもをつなぐ活動・行事
- 試して仕上げて まつりだ わっしょい
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- いきいき部活・クラブ
- 生徒の自主的な活動によるコンサート活動
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- 手をつなぐ―教師・親・地域の人々
- 聞き合い、語り合い、支え合う場を
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- 〜「親と先生をつなぐ会」から〜
- 私と集団づくりとの出会い
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- 〜集団づくりをエネルギーに前へ!〜
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- 〜“少し暗い世の中”の方がよいのでは〜地域の良さを生かしてあわてず少しずつ〜〜
- 読書案内
- 『元刑務官が明かす死刑のすべて』
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- 震災特別報告/震災派遣・ボランティアから見た被災現地
- [震災派遣]過酷な現状から明日の希望へ
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- 〜避難所の現場から〜
- [ボランティア]少しだけ見えてきたもの、それは…
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- 全生研第53回全国大会案内
- 編集室だより
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- 編集後記
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今月のメッセージ
子どもの願いをまんなかにして
常任委員 小室友紀子
真子さんは重い腎臓病を患っており、家庭事情もあって生まれてから10年以上も入院していた。15歳の時退院し、特別支援学校高等部へ自宅から登校するはずであったが、体調がかなり悪くなり、一度は生死の境をさ迷うような危機的状況にも陥り、入院が長引いた。高校2年で私が担任することになった時も、まだ入院中であった。
初めて病院をたずねた時のことは忘れられない。病棟の扉を開けると、彼女は、まるで私が学校のすべてを、外の世界のあらゆるいいことを背負って運んできたかのような、好奇と期待に満ちた目で迎えてくれた。彼女が「料理がしたい」と言ったので、フライパンや電磁調理器を背負ってたずね、病棟の一角を借りてオムライスを作って看護師さんや主治医に振る舞ったり、できるだけ病棟から広い庭へ連れだし、いろんな話をしたりした。体調も、家庭状況も整い、真子さんは退院し、2学期より自宅から登校してきた。友だち・教員がたくさんいる学校生活に徐々に慣れ、積極的になり、やがて3学期には生徒会長にも立候補していった。
3年生でも引き続き真子さんの担任となった。真子さんは5月の修学旅行をとても楽しみにしていた。しかし、泊を伴う行事への参加は生まれて初めてだ。これだけ重い病気を抱えている場合は、保護者付きで宿泊参加の許可がおりる。しかし、家庭事情もあり、真子さんに保護者がついて行事に参加することは難しかった。それでも安全に参加させるためにどうするか、何度も主治医、養護教諭と話し合った。緊急時の対応と透析の準備、両手いっぱいもある薬の服薬について、すべて本人とともに確認し、校医のY先生も同行することもあって、真子さんに修学旅行の参加許可がおりた。
安全に楽しく過ごせた修学旅行初日の就寝後、透析機器のアラームが鳴った。真子さんの体調にかわりはない。Y先生を呼びに行き、対処してもらったが、しばらくしてまたアラームが鳴る。これが夜中、何度か続き、そのたびY先生は飛び起きて駆けつけてくれた。あまりに何度もY先生を呼びにいくことを申し訳なく思っていると、「すみませんってもう言わないで。真子さんの修学旅行を成功させましょう。」と笑顔で返してくださった。他の生徒も寝ているので、私が懐中電灯で照らし、Y先生が機器の調整を行い、真子さんの位置を機器より高くするために机やマットレスを運び込むなど、あらゆる手を尽くした。なんとかおさまった時には、「やったー!」と小さく歓声をあげた。こうして真子さんは無事、修学旅行の全行程に参加することができた。ここでの実績が寄宿舎入舎の許可にもつながった。真子さんは、2学期から寄宿舎に入舎し、さらに生活と人とのかかわりを拡げていった。
卒業後の進路について、真子さんとよく話し合い、校内の進路担当教員、主治医、福祉課の課長やケースワーカーと何度も支援会議を重ね、彼女の希望する卒業後の「健康で充実した生活」をどう創り出していくかを一緒に悩み、考えた。真子さんは、得意な手芸を生かした仕事ができる作業所を選択し、彼女の一番の願い「働きたい」を実現することができた。
作業所で作った作品を販売し、パンの移動販売も行い、ひとりで通院し、訪問看護も受けながらちからいっぱい生きた19年と11ヶ月。真子さんは旅立った。お通夜では斎場に入りきれないくらいの人がお別れにきていた。入院中、在学中、卒業後に真子さんが生活のなかで創ってきた人のつながり。
花で囲まれた真子さんの写真に「真子さんはたくさんの人といたのね。」と心で語りかけた。
障害を有する子が、その存在でもってたくさんの人の関係を創り出す。近江学園創設者の糸賀一雄先生は、「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」と言った。「この子らが世の光なんだ」ということを、私はどこまで理解しているのだろう……今、かかわる子どもたちを前にして自問する毎日である。
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- 明治図書