- 特集 参加型人権学習が広がる条件〜人間関係づくりから人権問題学習へ
- 特集にあたって
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- 参加型学習の未来をひらくために
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- 《アンケートから》
- 「参加型」学習の背景には市民社会・市民参加・民主主義の理念がある
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- 学校がもっと開いていく必要
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- 「らせん型」に進行するESDカリキュラムの創造
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- 市民による自主的な社会教育を強化し、学校教育とつなぐ
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- 「今、子どもたちの状況は何を求めているのか」から出発して
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- 系統的・体系的プログラムを修正できる教員の力量を育成する
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- 対談
- 参加型学習が引き起こした変化と課題
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- 多文化な子どもたちの声にふれる (第12回)
- これのいいことってなんだろう
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- 沖縄散歩 (第17回)
- 森と川と海がつながりあう―やんばるの川を歩く
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- おもちゃばこ (第45回)
- 「勉強、苦手だけど、好き!」
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- 〜とても好きな言葉やなあ〜
- 子どもを見る眼 (第21回)
- 取り組みの中でつながりのドラマを
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- まいど、おおきに! (第9回)
- 体のコンプレックスは自分差別や!
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- アフガンに生きる子どもたち (第9回)
- アフガニスタンの四季
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- 共生のトポス (第105回)
- 増える在日ネパール人
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- 〜Aスシルの物語〜
- 編集部の本棚
- 『学ぶたびくやしく 学ぶたびうれしく』守口夜間中学編集委員会:編・著/『AIDSをどう教えるか』五島真里為、尾藤りつ子:編・著
- 【コラム】ノリきれない国際開発仕事人のつぶやき (第9回)
- ヌワラエリア・紅茶の旅
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- 映画をみる、映画でみる (第20回)
- 冬の小鳥
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- 〜痛みに満ちた幼い命の死と再生の物語〜
- まいにち? マイニチ!
- まとめて
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- “授業を創る”ということ (第9回)
- 「どの子もアクセスできる」授業づくり
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- 〜全員参加の授業(「出席」から「参加」へ)〜
- 編集後記
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編集後記
▼本号では、参加型学習の現在と未来について、かかわりの深い方たちからアンケートにお答えいただきました。参加型学習は、一九九〇年代からさまざまな教育運動をつないでくれました。それぞれの方たちの回答にあるとおり、一九八〇年代終わり頃から参加型学習は日本国内で普及しはじめました。日本で最初にこれを導入しようとしたのは、グローバル教育・開発教育・環境教育などにかかわっている人たちでした。この人たちは、諸外国、とりわけ途上国で、思想的背景と運動的背景をもちつつ参加型学習が人びとの生活と結びついて展開されていることをつぶさに見る中で、確信を抱きつつ日本に導入しようとしてきました。
▼解放教育・同和教育・人権教育の分野では、国際的に展開されている姿にふれた人も限られており、参加型学習に対する信頼感も、他の分野とはかなり異なってきたといってよいでしょう。この中には、しかるべき側面もあります。本文でもふれたように、参加型学習が脆弱な土台の上に進められ、きわめて危うい実践として取り組まれていることにふれざるを得なかったからです。しかし、実質的にこの活動は着実に広く展開されるようになってきました。教員の世代交代とも関連して、この流れをどのように消化し、思想的裏付けをもって現場で発展させるかは、人権教育に止まらず、日本の教育を左右することになるでしょう。わたしは今回の特集でその条件や可能性を考えることができました。忙しいなかでアンケートやインタビューに応じてくださった皆さんに感謝しています。
▼今年の九月五日に、横田三郎さんが亡くなりました。ドブロリューボフをはじめ、ロシアの唯物論思想の翻訳・紹介を自分の後半生の仕事とされていたと聞いています。わたしは、学生時代から横田さんの文章にふれてきました。マルクス主義全般はともかく、唯物論哲学には現在でも確信を強くもっています。これは、横田三郎さんの教育哲学にふれる中で培われたものだと改めて思います。横田三郎さんは、わたしたちの心の中に、教育運動のなかに生きています。
(森)
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