- 特集 「少人数指導」で生かす向山型7つのパターン
- ノート指導から、数直線を「基本型」とする
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- 少人数指導でも実感!!向山型算数授業システムのよさ
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- 「自分の存在感」を実感できる授業
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- 「少人数指導」たどり着いたのは「向山型」
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- 向山型を複式指導に生かすコツ
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- 基本型で学年を「仕切る!」〈3年生 かけ算の筆算〉
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- 少人数指導の最初と最後
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- ミニ特集 1学期の総チェック「教科書指導」の我流発見ポイント
- ノートに書かせる内容を吟味する
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- 「□」「ノート」「速さ」をチェック
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- 教科書チェックが平均点を上げる
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- ていねい・ノート・個別指導でチェックする
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- 子どものノートは我流発見の宝庫である
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- 10点台だった子も80点台を取れた!
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- グラビア
- 教師の論理、子どもの論理、そして教材の論理がある
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- 若葉印教師のための向山型算数基礎基本イラスト事典
- ミニ定規で賢くなる
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- 向山型算数キーワード
- 神は底部に宿り給う
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- 巻頭論文 算数授業へのこだわり
- つまずきには原因がある すぐれた教材・教具は対応する内容をもっている
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- 中学校からの発信!「向山型数学」実践講座 (第65回)
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- 向山型算数実力急増講座 (第71回)
- 向山型「赤鉛筆指導」の源流を追って
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- 向山型算数WEBサロン (第65回)
- 子どもの事実にそって、基本型を修正する
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- “若葉印”教師が向山型算数でダッシュするとき (第5回)
- 子どもの事実に出会ったとき、加速化する
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- “問題解決学習”隣の教室の実態ルポ
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- 混乱させるな!まず、基本型を!
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- 〈教室の障害児と向山型算数〉特に気になる『あの子』への向山型アプローチ
- 4年MLの学びが、わり算筆算全員達成を生んだ
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- もう一つの向山型算数 難問良問1問選択システム (第71回)
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- 【学年別】『TOSS算数ワーク』活用事例集 (第5回)
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- 4年/テスト後の隙間時間に取り組むなら、絶対に『TOSS算数ワーク』がいい!
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- 5年/補教の5年生教室で『TOSS算数ワーク』全ての感想
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- 6年/笑顔と静寂を生む魔法のワーク
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- 腹の底からの実感!向山型算数を知る前と後
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巻頭論文
算数授業へのこだわり
つまずきには原因がある
すぐれた教材・教具は「つまずきの原因」に対応する内容をもっている
向山洋一
MLで,「気になる子どもの事実」が報告されていた。
白井朱美先生である。
我が娘が,算数のテストで60点を取ってきたことにびっくりした内容である。
小学校に入学したばかりの1年生なのだ。
小学校に入学したばかりの(5月)1年生に,算数のテストをするなら,「全員が90点以上」を取れるように教師なら気をつける。
90点以下の子がいるのであれば,それはよほど「鈍感で未熟な教師」であるか,その子に特別の事情があるかなのである。
白井先生は,我が子のテスト結果にびっくりしたが,すぐに「百玉そろばん」と「百玉スキル」で教えてみた。
すると,子どもはその日のうちに理解して,できるようになったのである。
学校で何時間もかけて理解させられなかった理由は,どうしてなのか?ということになってくる。
改めて,「百玉そろばん」と「百玉スキル」は,すぐれものなのだと実感したという。
小学校入学早々の算数のつまずきを「自分たちが研究してきた」百玉そろばんが救ってくれたのである。
やっててよかった「百玉そろばん」だ。
さて,私が気になったのは,間違えた問題である。次の問題だ。
A.5は2と
次のように表記するときもある。
A’.5=2+
これができないわけだ。次のはできる。
B.2+3=
(A,A’)と(B)は,異なるのである。
子どもの頭の中には,「Bのイメージ」しかないのだ。
「えんぴつが2本あります。新しく3本買いました。全部でいくつですか」
このような「イメージ」である。
「どんなお話ですか?」と聞けば,「えんぴつを買って,全部でいくつになったのかというおはなし」と答えるだろう。
「指2本と指3本」でも同じだ。
子どもの頭の中には「あわせる」イメージができているのだ。
A’.5=2+ このような式を見れば,これまでに習った「合わせる」というイメージを当てはめようとする。
しかも,+(プラス)という記号がピカピカと飛び込んでくる。
A’.5=2+
したがって,上記の問題をとくときには,〈5+2=7〉というようになるのである。
子どもの頭は,ごく自然に,そのように流れていく。
これまでの〈合わせる〉という勉強に沿っているのである。
ところが,〈分ける〉という勉強が出てきた。
〈合成〉と〈分解〉の,分解の方である。
この〈分ける〉という意味が,なかなか理解できないのだ。
あれこれの場面を用意して,「分ける」ことの十分な学習が必要だったのだ。
それが,不十分だったのである。
ついでに言えば,次の問題はもっと難しい。
C. と2で5
C’. +2=5
これは,もっと間違うだろう。
「太郎さんは,いくつかえんぴつを持っていました。お母さんが2本くれました。全部で5本になりました。いくつ持っていたのでしょう」
このような問題である。
「いくつかえんぴつを持っていた」という仮定の場面が描きにくいのである。
大人なら,すぐ分かる。
しかし,1年生の子どもには難題なのだ。
Cタイプの問題なら,答えを2+5=7とする子は,もっと増えるだろう。
私は,同じように見える「A」「B」「C」の問題を示した。
ところが,「具体的イメージ」「その場面」が描きにくい問題があることを紹介した。
これは,「子どもの事実」が「問題の所在」を示しているのである。
では,「問題の原因」は何か。これは,教師が考え,推定するしかない。
さらに,「問題を解決する方法」をどうしたらいいか。
これも,教師が考えて,実践してみるしかない。その方法がよかったかどうかは「子どもの事実」が示してくれるのである。
子どもがつまずく授業には,必ずどこかに欠点があるのである。
子どものつまずきは,神様からのメッセージだ。
「神様からのメッセージ」を感じることのできる「素直で謙虚な人格」だけが,「問題の所在を発見」し,その克服への道を進めるのである。
これこそが,教育実践,教育研究の王道であり,幾多のすぐれた先達が残してくれた道なのである。
「子どものつまずき」を「神様からのメッセージ」ととらえることができず,「それを見逃し」たり,ひどいときには「つまずきを子どもの責任」に転嫁し,「教科書が悪い,前担任が悪い,地域が悪い」と他に転嫁する教師は,真の「教育実践」「教育研究」を作ることはできず,無内容な価値のない,誰も読まない「研究紀要」を生産し,ゴミ箱の中に自分の「教育実践,教育研究」が捨てられる教師人生を歩むのである。
私の著書の『教師であることを怖れつつ「1年の学級経営」』の中に,次の文がある。
向山洋一40歳であった。
〈小学校の授業の始発点〉
私は一年生を初めて担任した。今まで教えてきた一つ一つのことが,「それはなぜ必要なのか」と考えさせられている。原理にまでもどって考えざるを得ないのである。例えば,小学校の一年生は,今までに何を習ったことを前提としているのかなどがわからないのである。
○歳から六歳までに何を習得しておくことが必要なのか?
それとも,何もなくてもいいのか? 何もなくてよいなら,なぜ○歳から小学校教育を始めないのか?
「いや○歳では無理だ。六歳ぐらいまでは必要だろう」というのなら,○歳と六歳ではどこがどのように違うことが期待されているのか?
私が調べた範囲では,ここら辺りがほとんどあいまいである。というより,「ない」に等しい。いくつかの「説」はあった。しかし,「説」と「説」がぶつかって「論」にまでなっているのはほとんどなかった。だから,私は,「何を前提として,何から始めるのか」という点が定められなくて大変困った。
算数セットの中から「数え棒」を十本とり出して,算数の授業をした。私が言う数を,取り出すのである。「五本,二本,九本……」これだけなら授業ではない。母親が,「うちの子は数がわかるわ」と喜んでいるのと同じレベルである。プロは,ここから出発するのである。六本,七本などと言っていると,数え棒の置き方が変化してくる。私のクラスでは七種になった。
つまり,十までの数を分解し出したのである。分解したものを合成して「六本,七本」を取り出すのである。この方が,ずっと早くできるのだ。子どもたちは,面白がって勉強している。このように,「具体物」を通して,数に十分親しませるのである。その上で,足し算に入るのである。つまり,足し算が理解できるためには,それに先立つ具体的な体験が必要なのである。
前号でお知らせした「TOSSかけ算九九セット」が,大反響である。
何よりも「かけ算九九の苦手な子が熱中した」という報告が相次いでいる。
勉強のできる子もできない子も夢中になり「これはすごい」と感想を言うらしい。
「かけ算九九セット」だが,「わり算指導にもとてもいい」という報告も入り始めている。
さらに,「もっと別の活用方法もある」ということで,研究に熱を帯びたという便りもあった。
すぐれた教材・教具は,子どもを熱中させ,できない子をできるようにして,教師を助けてくれるのである。
いかなる教材・教具を使っているのかも,教師の実力のうちなのである。
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- 明治図書