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- 近世までの日本とアジア 中世の日本
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- 二度の蒙古襲来の目的はそれぞれ違った?!
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- 近世までの日本とアジア 近世の日本
- ルネサンスは死と隣り合わせの時代だった?!
- 黒船来航はぺリーが最初ではなかった?!
- 大阪城の地下には本願寺が眠っている?!
- 忍者は手裏剣を使わなかった?!―忍者の実像
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- 天下分け目の関ヶ原、なぜあっさり勝敗が決したの?!
- 生類憐みの令のおかげで、日本の犬食は廃れた?!
- 田沼意次は賄賂政治家だった?!―田沼意次と松平定信
- 近現代の日本と世界 近代の日本と世界
- なぜ、コーヒーと銃を好むの?!―アメリカ独立の背景
- 不平等条約の締結は、幕府の無為無策を示している?!
- お雇い米国人と屯田兵が北海道を開拓した?!
- 西郷隆盛は平和論者だった?!―征韓論の意味するもの
- 文明開化はバタ臭かった?!
- 日清戦争、なぜ「朝鮮の独立」が日本にとって重要だったの?!
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- いつから日本人は時間にうるさくなったの?!―定刻主義と帝国主義
- 大正時代の日本はドイツ人捕虜の待遇に気を配っていた?!
- 日清戦争から数えて「日中五十年戦争」という歴史の見方はできる?!
- 大国アメリカとの開戦、最終的に決断したのは誰?!
- 「特攻」と自爆テロはどこが違うの?!
- 近現代の日本と世界 現代の日本と世界
- マッカーサーは、連日山のようなファンレターをもらっていた?!
- オリンピックの女子マラソン、昔はなかったって本当?!
- 沖縄県民の怒りの理由はどこにある?!
- おわりに
はじめに
近年、「雑談力」という語を目にすることがありますが、皆さんは雑談についてどうお考えですか。多少の効用はあるにしても、本題や本筋に比べれば、取るに足りない挿話であり、しょせん脇道に過ぎないとお考えではないでしょうか。
私の考えはそれと真反対です。
すなわち、雑談あってこその本題であり、本筋を生かすも殺すも、雑談次第だと考えるのです。
雑音、雑踏、粗雑、煩雑など、「雑」のつく熟語に、あまりよい言葉はありませんが、雑木はちょっと違います。私は、人生や学校生活、あるいは、一時間の授業は、森にたとえられるのではないかと思います。森には、多種多様な木がありますが、大別すれば杉・檜などの人工林と、雑木の自然林になるでしょう。
確かに、京都の北山杉や吉野の杉・檜の森は見事です。でも、それは日本の森林全体からすれば例外的存在であり、大半の人工林が今や人手が入らぬまま放置され、台風や豪雨の度に山崩れを引き起こすなど、被害を深刻化させています。
それに対して、雑木の森はどうでしょう。木材としての価値は低いかもしれませんが、保水力に富み、春には緑の、秋には黄と紅の濃淡で、人々の目を和ませてくれます。つまり、森としての価値を雑木が高めているといえるのです。
杉や檜は、「ハレ」の行事や確実に習得させるべき学力みたいなものです。重要には違いありませんが、植林後も、生長に応じて下草刈りや間伐、枝打ちなどの手をかけてやらないとうまく育ちません。下手をすれば、ひょろひょろっと背丈だけ高くなり、風ですぐに折れたり倒れたりしてしまいます。
他方、雑木は誰が手を加えなくても自然に生えて育ち、葉を落とし朽ちては森全体を肥やしていきます。その意味で、「ケ」としての学習や生活体験とみなしてよいでしょう。木材として売れるのは杉・檜であるように、進級や進学の指標となるのはハレの学力かもしれません。でも、学びに向かう力や人間性をつくるのは、一本一本に商品価値のないケとしての雑木、すなわち、日常の学習や生活体験ではないでしょうか。
教師がハレの場で建前を語り、授業で教科書を解説し板書するのは、当然でしょう。しかし、それらを子どもの生きる力にするためには、ケとしての生活に根を張った本音や遊び、あるいはリアリティのある語りが必要だと思うのです。
だから、雑談を軽く見るべきではありません。その場、その人に応じて、リアリティのある語りを生み出すためにも、語りうる素材を教師は身につけていなければなりません。本書が、そのための一助となれば幸いです。
/原田 智仁
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- 明治図書
- 少し難しいネタもありますが、読み応えのある内容です。2022/1/620代・高校教員
- サイズがよかった2020/12/830代・中学校教員
- 授業で少し話せそうなネタがあり、使いやすい。2018/2/620代・中学校教員
- 内容はよかったのですが、横書きがよかったです。2018/2/440代・中学校教員