- はじめに
- 第1章 [解説編]イラスト図解でよくわかる AさせたいならBと言え
- 01 「AさせたいならBと言え」――子どもが知的に動き出す言葉の原則
- 02 させたいAとBの言葉との落差で発動する知
- 03 「AさせたいならB」の具体例@「静か」という音があるのです
- 04 「AさせたいならB」の具体例A「寝る」の反対は?
- 05 「AさせたいならB」の具体例B短期的構造と長期的構造
- 06 「AさせたいならB」はレトリック
- 07 「AさせたいならB」は日本的論理?
- 08 知のある「AさせたいならB」にせよ
- 09 Bの言葉の見つけ方
- 1 物
- 2 人
- 3 場所
- 4 数
- 5 音
- 6 色
- 10 Bの言葉かけの大原則――子どもに知が生まれること
- 第2章 [活用編]AさせたいならBと言え 子どもが動く指示の言葉
- 学級づくり
- 〔目が合うことの心地よさを味わわせたい〕 目が見ています、見ています、見ています……。
- 〔心がつながる挨拶をさせたい〕 挨拶した後、目を見ましょう。
- 〔おしゃべりを止めさせたい〕 出ている音を消してください。
- 〔「聞く」と「聴く」の違いを意識させたい〕 「半きき」と「本きき」ができるようにしましょう。
- 〔話にじっと耳を傾けさせたい〕 一流の人は、話を聴くとき、動きません。
- 〔話の途中に口を挟まないようにさせたい〕 頭の中のコップを空にして聞きましょう。
- 〔目線を上げて話させたい〕 うなずいてくれる人に向かって話しましょう。
- 〔忘れ物をしないようにさせたい〕 忘れ物をして困るのは、誰ですか?
- 〔早く静かに教室移動をさせたい〕 忍者のしきたりに従うべし!
- 〔自身の劇的な前進ぶりを意識させたい〕 四月から今までの中で最高の○○です。
- 〔自信とやる気と技を身につけさせたい〕 あなたは○○名人です。
- 〔自信をもたせ、よい気分にさせたい〕 〈フルネームで呼んであげる・書いてあげる〉
- 〔気持ちよい拍手でよい空気をつくりたい〕 拍手はすばやく大きく九回程度です。
- 〔クラスの空気を明るくしたい〕 このクラスの○○は好きだなあ。
- 〔一人ひとりを大切に思う気持ちを伝えたい〕 休んだK君、かわいそうですね。
- 〔五秒で全員を笑わせたい〕 イの口で「吸う・吐く」を一〇回してみましょう。
- 〔マスクをしていても笑顔が分かるようにさせたい〕 目を細めて笑ってみましょう。
- 〔悪口・陰口を言わないようにさせたい〕 悪口・陰口は言っているあなたの心を傷つけますよ。
- 授業づくり
- 〔全員を授業に参加させたい@〕 算数でいうと、3+4ぐらいの問題かな。
- 〔全員を授業に参加させたいA〕 ○で囲んで丁寧に閉じます。
- 〔1人1台端末活用を戸惑わせない〕 今日の資料は……緑です。
- 〔知的な挙手をさせたい〕 手のひらは第二の顔です。
- 〔言葉が伝わる発声をさせたい〕 「・つくえ」と読み下ろしましょう。
- 〔意欲的に挙手させたい〕 手は挙げるだけで九〇点です。
- 〔賛成かどうか意思表明させたい〕 「賛成!」でない人は「なるほど!」と言おう。
- 〔分かりやすく話させたい〕 今、話している文に、早く「。」をつけましょう。
- 〔対話の場での学習ルールを身につけさせたい〕 〜している○○さんどうぞ(と指名する)。
- 〔主体的に話し合いを進めさせたい〕 もう先生の考えを言っていいですか。
- 〔話し合いを活性化させたい〕 「はいっ」の言葉のスイッチをONにしておきましょう。
- 〔緊張せず発表や討論をさせたい〕 机を九〇度回転させ、対面方式にします。
- 〔発表するとき、原稿の「まる読み」は止めさせたい〕 発表するときは、文は用意しません。
- 〔子どもたちに自分で課題を考えさせたい〕 不思議なところがあるのですが……。
- 〔個別作業をスタートさせたい〕 書いています、書いています、書き始めました。
- 〔個別指導のとき全体指導もしたい〕 先生の隣に来てください。
- 〔理に適った文章の音読をさせたい〕 一つの映像で一つの間をあけましょう。
- 〔意味句読みをさせたい〕 目より二〇p高いところから音を出しなさい。
- 〔一人音読を上達させたい〕 気をつけたい言葉を五つ選び、「○」で囲みましょう。
- 〔仲間の音読をしっかり聞かせたい〕 いくつ文を読むか自分で決めましょう。
- 〔授業後も知的な空気をまとわせたい〕 劇をやるとしたらあなたは……。
- 〔「人柄」を考えさせたい〕 ネーミングしてみましょう。
- 〔説明的な作文をスラスラ書かせたい〕 四段落で書き、まとめは中の共通項を書きます。
- 〔物語風の作文をスラスラ書かせたい〕 会話から書きましょう。
- 〔書いた作文を推敲させたい〕 二回音読をしたら○をぬりつぶしてください。
- 〔書くことで論理的思考を深めさせたい〕 「確かに○○もよい」から書き出します。
- 〔生まれた知的な空気を継続させたい〕 今、教室に薬が出ています。
- おわりに
- 参考文献
はじめに
1 子どもの知的な動きを生み出す
『AさせたいならBと言え―心を動かす言葉の原則―』を出版したのは、一九八八年である。それから三十数年、いまだに版を重ねている。なぜだろう。我々教師は、いつの時代も、子どもの「知」を求めているからだろう。
つい数か月前、訪問した学校で「うんとこしょ」(谷川俊太郎)の授業をしたときのことだった。小出し方式でしていった。詩の一部をかくして次を予想させる。思わぬ考えが出される。最後は、谷川さんが書いた言葉を紹介する。
「えっ、ああ、なるほど!」
教室に知が広がっていく。
最後の連は
「( )がこころをもちあげる」
の提示。そうしたら、Sさんが「あっ、わかった!」という顔で挙手。
私は、「はいっ」とその子を指名した後、思わず言っていた。
Sさん、いい意見、言ってくれそうです。はいっ。みんな拍手の準備。
すると、みんな両手を出して、本当に拍手する前の格好をした。そればかりではなかった。みんながSさんを見た。ひと言も漏らさず、話を聞こうとする構え。まさに、傾聴という言葉がぴったりの姿だった。Sさんは言った。
「笑顔です」。
「う……」という一瞬の間の後、バーッと拍手が起きた。
「なるほど! みんなで言ってみましょう。笑顔が心を持ち上げる」
「えがおがこころをもちあげる」
一斉に音読する姿が素晴らしかった。笑顔があふれた。まさに、「今咲いたばかりの花たち」である。こういう瞬間に遭遇すると、「やはり、授業はいいものだな」と思ってしまう。
ところで、谷川さんの詩では、「うたがこころをもちあげる」である。
ここは、ここで「なるほど!」である。歌で心が持ち上がった体験を語らせて言った。そして、ここでも、「拍手の準備」と拍手が続いていった。私は、また、一つ手に入れたと思った。
A 発言を傾聴させたい。
ふつうなら、「話をよく聞いてください」とか、「発言する人を見てください」とか言いたくなる。それをあえて言わず、
B 拍手の準備をしてください。
何と、「拍手の準備」で、「傾聴の構え」が生まれたのであった。
「AさせたいならB、一つゲット」である。
もし、発言の内容がずれたものだったらどうするか。
内容に関係なく、拍手をさせてしまう。
「M君、最初に発言してくれました」
「Sさん、考えるきっかけをつくってくれました」
と、フォローすればいい。これらも、個に対応した「AならB」の精神から生まれた言葉だ。
挙手したものの、K君、途中で言いよどんで、意味不明になってしまったらどうするか。
「よく分からないけど、取りあえず拍手……」と言ってしまう。そんな拍手でも、K君は、「うれしい……」と言うだろう。
自分に向けて、拍手してもらうことで、仲間は自分に関心をもってくれている。それが、うれしいのだろう。拍手されることで、脳は、自分に何かいいことが起きていると感じるようである。心地よくなるのだ。
拍手の響きに包まれることで、一人ひとりも心地よくなる。教室の空気がよくなる。拍手は、教室の空気を一気にプラスモードにしてくれる。
「空気が重くなったときは拍手させる」
これは、教室の全員に対応した「AさせたいならB」である。
ただし、最後が間延びした拍手からは、少々だが、マイナスの空気が発生してしまう。
A しているほうも、されるほうも心地よい拍手をさせたい。
B 拍手は、大きく、細かく九回です。最後は両手を合わせます。
若い頃、「拍手は七回」ということを聞いた。その後、ずっと試してきた。今は、「九回」が一番ピタッとくる。「最後は両手を合わせる」だと、すっと気持ちよく終わる。
2 子どもと教師に知を発生させるエンジン
拍手の準備の指示で子どもに傾聴の構えが生まれ、笑顔の拍手が広がっていったとき、「やった!」と思った。こんな小さなひと言で子どもに知的な動きが生まれたことがうれしかった。
他の先生の実践や方法を追試した結果、目の前の子に知が生まれるのもうれしい。しかし、その手立てに、自分のオリジナルな箇所があるときには、一層うれしいものだ。
「AさせたいならBと言え」の原則は、たいそう大雑把な原則である。AもBも考えなければならない。
それが、いいのかもしれない。ある場面で、とてもよいBの言葉を思いついた。やってみたら成功。子どもに知が発生。その瞬間、教師にも、知が発生しているのだ。教師としての世界が少し広がったのだ。「拍手の準備」の言葉が成功したときの私のように。
「AさせたいならBと言え」は、子どもと大人の双方に、知を発生させ、拡大再生産させる装置=エンジンと言えるのかもしれない。
一九八八年版の例では、「さゆりちゃんの家へ」のエピソードが、よく紹介されるようである。
A……友だちの家にいく娘に気をつけて行ってほしい。
B……さゆりちゃんの家に行くまでに、いくつ道路を渡るの?
私の家の近辺は、結構な交通量であった。三年生の娘に一人で行かせるのは心配だった。そこで、私が言ったのが、Bの言葉だった。少し考えていた娘は、「三つ」と答えた。娘の頭に三つの道路の映像が順番に浮上したに違いない。「その道路を渡るとき、気をつけてね」と娘を送り出したのだった。
娘が現場を通るとき、きっと私の言葉が蘇るに違いない。その瞬間、「大人として、親として、少し良い仕事ができたな」と思ったものだった。あれから三十数年。「さゆりちゃん」の話を、今でも、娘は覚えているという。ある状況の中での意外な言葉が、いかに鮮烈な映像となって残っていくかを物語る。その娘は、今、私と同じ仕事についている。
3 知を生み出す原則
実は、一九八八年版『AさせたいならBと言え』の執筆をスタートしたときは、その成功例をまとめようと思った。追試してもらえたらうれしいと思った。
しかし、今、読み直してみると、最初の「基礎編」一〇〇ページで紹介した事例は、わずか三六例。事例を紹介する中で、どんどん理屈が生まれて膨らんだようである。「基礎編」は、例えば次のようなテーマで構成している。
「知的に動かすための原則」
「善さ≠引き出したひと言」
「知的表情を求めて」
「通俗性の打破」
「技術の発見、人間の発見」
「紙一重の違い」
「AさせたいならB」が、知を発生させるための原理・原則であることを、繰り返し述べている。
基礎編の最後では、「子どもの精神を『開』にするか『閉』にするか、それは紙一重の違い≠ネのである」と述べている。この原則は、「知」「善」「自主」を求めるために活用すべきであるとも述べている。こんなことまで書いていたのかと驚く。
一九八八版で、「善」「自主」まで求めているのは、当時、私が担任をし、子どもをまるごと抱えていたということもあろう。「知」だけでなく、「意」「喜」が子どもから生まれていたのだと思う。そのうえでさらなる「善」や「自主」の発生まで視野に入れたのであろう。
正直に言うと、現在の私は、「知・善・自主」というより、「知・意・喜」を求めたいと思ってしまう。ねらいとしては、むしろ後退しているのかもしれない。
この原則が、子どもに「知」を発生させる。知的な行動を促すことであることは変わりない。
4 令和版作成へ
一九八八年版の『AさせたいならBと言え』を執筆しているうちに、むずむずしてきたことがあった。事例の成功例には、どうやら、違うレベルの共通項があるようなのだ。人間は、実践をし、事例が膨らんでくると、次は、それを束ねたくなるようだ。「束ね欲求」があるようだ。
そんな中、「Bの言葉を考えるのが難しい」という声も耳にするようになった。
そこで、一九八八年版は、第二部に、「探索編」を設けた。さらに七〇あまりの事例を紹介した。事例を書きながら、Bの言葉を束ねる探索をしたのである。そして、Bの言葉として、特定したのが、次の六点である。
1 物 2 人 3 場所 4 数 5 音 6 色
まとめてみて分かった。Bの言葉の共通項は、コトではなく、モノを示す言葉であるということだ。誰がその言葉を聞いてもイメージできる「ゆれのないモノ」を提示することで、「AさせたいならB」の形にすれば良いのだ。一九八八年版では、なぜ、この六点が有効なのかを、実例や、さまざまな知見から学び「探索編」としてまとめた。このBの言葉「ゆれのないモノ」は、その後の授業で活かされることになる。
今回は、「解説編」で、「AさせたいならB」の原則と「ゆれのないモノ」について、新しい事例を紹介しながら述べる。
後半の「活用編」では、一九八八年版の「探索編」をベースにしながら、この時代に対応した事例を紹介していきたい。
この三〇年、子どもたちの変容ぶりは激しい。子どもたちも、大量消費者の一員となり、大量の情報に囲まれている。到来した「心の時代」。その響きの良さとは裏腹に、「心のコントロール」がいかに困難であるかを痛感することになった時代でもある。
何かができないとき、指導する教師に対して、「わたしはできないのではなく、しないのです」と子どもが言いそうな気配を感じる。できないことを武器にして、現状を切り抜けようする、知の放棄とも言える状況が発生しているように、私には見えてしまう。
こんな中のコロナ禍。授業や学校生活に多大なる影響を及ぼしている。「知」の発生装置としての現場の教室には、黄信号がともっている。中には、赤になっているところも。
学校のピンチである。教室にも、個々の子にも、緑の信号を点灯させたい。そんな思いを込めて、令和に対応した『AさせたいならBと言え』をまとめていく。
5 「AさせたいならB」誕生秘話
ひと言、付け加えておきたいことがある。「AさせたいならBと言え」という言葉を最初に使ったのは、一九八五年のことだった。法則化合宿だった。雑誌『教室ツーウェイ』のよびかけ号に掲載する論文の審査があるという。何か持っていかねばと思った。
教師の言葉について、気になっていたことがあった。子どもがさっと動く教師の言葉には共通項があるのでは……。
その頃、目にする法則化論文には、発問が枠付きで示されたり、記号が付されたり、ナンバリングがなされたりしていた。今流に言えば、可視化の工夫がなされていた。ひらめいたのが「A〜B」による記号化である。ちょっと変かと思いつつ、つけたタイトルが「AさせたいならBと言え――しつけの言葉の原則」であった。三ページの拙い文章であった。
私の発表の番になった。「AさせたいならBと……」とタイトルを言った直後、向山洋一氏が言った。「文句なく二重丸です……」。中身は読まなくてもよいとのことだった。
そのまま、『教室ツーウェイ』誌に連載となった。正直言うと、その頃、私が思いつく事例は数例しかなかった。そんな状態だったので、連載も数回で終了となった。
しかし、「AさせたいならBと言え」に私自身が助けられた。当時、体育主任をしていた。毎日のように、全校児童の前で、指示や説明をすることになった。体育指導の良いところは、子どもの動きの変化が、即、見えることだ。ちょっとした言葉かけで、知的な動きが生まれる瞬間を、日々見ることになった。
体育の指導以外の場面でも、「AさせたいならBと言え」の原則は、活用できるのでは……。「AならB」の事例を取り出す。「AならB」で発問・指示をつくる。往復運動のように、「AならB」を意識していったのだった。
もし、向山洋一氏との出会いがなければ……、体育主任をしていなければ……。そして、『教育新書67』への執筆依頼がなければ……。様々な人との出会いと機会を得て、『AさせたないらBと言え』は、日の目を見ることになったのである。
そして、今回、ご依頼をいただき、本書に着手することになったというわけである。再び、最高に「苦(くる)楽(たの)しい」(河合隼雄氏の言葉)作業になりそうである。
/岩下 修
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