図画工作科の学習で最も大切なことは、自分で感じ、思い、考えたことを表現できることです。そのためには、どのような表現も尊重し認めてもらえるという、先生や教室の仲間との信頼関係が根底になければなりません。表現や鑑賞の活動を通して、他者との「違い」を「よさ」として受容し合いながら、その「違い」から学び合う中で図画工作科の学習は成立します。そんな教室には、異端を排除したり、うわべの能力差をあざ笑ったりするようなことは起こりにくくなります。言いかえれば、図画工作科の授業が成立していくということは、お互いに信頼し合える学級集団が形成されていくということなのです。
まずは、子供を使って自分のイメージを表現させるようなことがあってはならないということです。例えば「作品」という成果物が生まれてきますが、その見栄え、できばえだけに目を奪われてしまうと、教師が満足する「作品」を作らせることが仕事だと勘違いしてしまいます。またその一方で、知識不足や技術の稚拙さのために思い通りの表現ができずに困っているのに、「自由に伸び伸びと」などと言い、子供を放置していることも少なくありません。そこには「教師の自己満足」と「子供の欲求不満」しか残りません。よい授業を実現するためには、子供の学びに寄り添いながら単元計画を立てることが求められますし、そのためにも、子供の姿(パフォーマンス)を通して評価できるように、「何を」「どこを」「どのように」見るのかを明確にさせることが大切だと考えています。
ここでは、図画工作科の授業を行う上でおさえておきたいことを、本当に基本的なことから、エキスパートの先生だからこそ伝えられる授業づくりの要点まで、できるだけ簡潔に整理して紹介しています。図工の授業に困っているという先生の中には、知らないうちに勘違いがあったりします。例えば「絵の描き出しのポイント」を読んでいただければ「今日はお友達の絵を描きたいと思います」なんて、自分の「思い」を宣言することだけで子供に絵を描き出させようとしていたことに気付きます。子供たちの思いをまず大切にする指導をしているか、そのためにはどんな具体的な手立てがあるのか、気付いていただくことができると思います。
鑑賞の学習指導は、ここ数年で大きく発展してきました。昔は作者や時代背景などの「知識」を先行させて鑑賞することが多く、結果として、自分で感じ取ったり、作品を味わったり、ということがあまりできませんでした。たとえて言うなら、料理を前に、それを味わうことなく、シェフの生い立ちや、材料や調理法の解説を聞かされ、あげくに「美味しい」と言い切られてからやっと口にするようなものです。しかし、料理は、まずは自分で食べて、味わい、美味しいかどうか判断するものです。
同様に、鑑賞活動もまずは、私たち教師自身が、作品についてのデータや背景への知識を横に置いておいて、自分の目で見て、感じて、味わうことが先です。そして、なぜ、そのように感じるのか、考えながら作品を見ていくと、鑑賞の面白さや楽しさに気付くことでしょう。
*参考…最近は、アートカードを使ってゲームを楽しむように鑑賞する「アートゲーム」や、先生(ファシリテーター)と、あるいは鑑賞者同士で対話しながら作品の主題に迫っていく「対話による鑑賞」など、多様な鑑賞学習の方法が広がってきました。いずれも、鑑賞者が能動的に「見る」、感性を働かせて「感じる」、自分なりに「考える」ことを軸に、仲間と多様な見方や感じ方を共有し、楽しみながら作品に込められた意味を生み出していく活動です。つまり、鑑賞活動も自分で意味をつくり出す創造活動だということなのです。
本書でも、多様な鑑賞学習について具体的に取り上げています。参考にしてください。
図画工作科の授業では、題材との出会いが大切です。「なんだか難しそうだな…」「自分でできるだろうか…」と不安を感じさせるような出会わせ方ではうまくいくはずがありません。ましてや、苦手意識をもっている子供にとっては、先生が大きな四つ切り画用紙を配り始めただけで逃げ出したくなったりするものです。
でも、ちょっとした工夫で「やってみたい!」「早くやりたい!」という気持ちにさせることができます。また、適切な環境設定や授業計画により、夢中になって取り組む子供の姿、真剣な表情や笑顔などに出会うことができます。今まで、気付かなかった、でも誰にとっても、やってみればそんなに難しいことではない。そんな図画工作科の授業づくりができるようにと願い本書を企画しました。
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- ふくしまあい
- 2016/8/3 20:51:35
やってる先生がたのしくないと〜生徒はつまんないよね!