単元を貫く言語活動の授業をしようと思っているのですが、付けたい力に合った言語活動がなかなか選べません。どうしたらいいでしょうか?
まず、付けたい力は、学習指導要領の指導事項等と目の前の子供の姿を基に具体化してとらえるのでしたね。次に重要になるのが、その力を育むのにぴったりの言語活動を選ぶことです。
具体例で考えてみましょう。
第1学年及び第2学年「C読むこと」の指導事項「ウ 場面の様子について、登場人物の行動を中心に想像を広げながら読むこと。」を指導するとします。その際、子供たちの実態として、例えば「うちのクラスの子たちは、前単元の物語文の学習で、場面の様子は読めるようになってきたけれど、登場人物の行動に気を付けて読むところまではいっていないなあ」と判断したとします。そうすると、「登場人物の行動」に着目して主体的に読むことがねらいになりますね。
さてここから問題です!
ここで単元を貫く言語活動として、自分の大好きな物語について、
A「紙芝居で紹介する」
B「ペープサートで紹介する」
という2つの案が出てきたとします。
さて、A案とB案どちらを選びますか?
実際には子供たちの実態を踏まえて確定するので、一律の答えがあるわけではありませんが、基本的には次のStep1〜3のように考えてみましょう。
Step1
まず、付けたい力をもう一度確認します。本単元では「登場人物の行動」に着目して、主体的に読むことがねらいでしたね。
Step2
続いて、候補となる言語活動の特徴を分析します。「紙芝居」にはどのような特徴があるでしょうか。一般的には、場面の様子を複数の紙芝居の紙面をめくっていくことで物語るという基本的な特徴がありますね。これに対して「ペープサート」は、棒の先に付けた登場人物の紙人形を動かしたり会話させたりして物語るという特徴をもっています。
Step3
その上で、付けたい力にぴったりの言語活動を絞り込みます。さあ、もうどちらを選べばよいか分かりましたね。この場合は、登場人物の言動、つまり「登場人物の行動」に着目しやすいB「ペープサートで紹介する」という言語活動の選定が、より妥当性が高いということになるのです。
だんだん分かってきました。でもペープサートってよく知らないんです。どうしたら言語活動の特徴を押さえることができますか? 言語活動を選ぶコツを教えてください!
言語活動を選ぶためには以下のようなコツがあります!
言語活動選定のコツ@
それは、その言語活動を自分でもやってみることです。
よく「ペープサートなんていうおもしろおかしい活動だけで読む力が付くのか」と心配になる場合もありますが、実際にやってみれば、おもしろおかしく紙人形を動かせばよいのでないことはすぐに実感できるでしょう。
こうした言語活動を位置付けた授業での子供の様子を見ると、ペープサートを見て動かしているのではなく、文章にじっと目をやって、つまり文章に書かれた登場人物の言動を自ら精読して動かしていることに気付くでしょう。これこそがねらっている子供の姿です。
言語活動選定のコツA
もう一つのコツは、子供たちの日常の関心事をよく把握しておくことです。
いくらペープサートが言動に着目しやすい言語活動だからといって、子供たちが全く触れたことがないのでは、ふさわしい言語活動とは言えません。子供たちの実態として、生活科など他教科等の学習で頻繁にペープサートを行う経験があったり、家庭や学校の休み時間などにペープサートで遊んだ経験がたくさんあったりすれば、不必要な抵抗感なくペープサートを活用できるのです。
言語活動選定のコツB
さらに、これまでに開発された言語活動がたくさんありますから、そうした情報を得て、選択肢を広げることも大切なコツです。例えば、次の書籍には多様な事例が盛りだくさんですから、是非参考にしてみてください。
ここをチェック!授業改善のためのポイント
ねらいにぴったりの言語活動を選ぶには、次のポイントに留意しましょう。
- その言語活動を実際に行ってみたか?
- その言語活動は、単元で取り上げる指導事項の重点とぴったり合うものか?
- その言語活動は、子供たちの実態に合い、子供たちが主体的に取り組めるものか?
国語の授業の中で、絵を描いたり、工作のようなことをしたり、そのような活動をする時間があったら1文字でも多く漢字の練習をしたり、1分でも長く音読の練習をしたりしたいです。そのような活動は生活科の中でやればいいのではないでしょうか。なぜ国語の中でペープサート?紙芝居?意味が分かりません。そんなことをしているから、どんどん学力が下がるのではないでしょうか。一瞬でも早く無くなってほしい指導法?です。
ただし、その児童の言語活動と、「その単元で身に付けさせたい力」は、ほんとうに一致していますか?
「1分でも長く」練習するのは何のためか。「誰に向けて」音読するのか。
そこのところが児童自身が明確に理解していないと、単に「音読させられている」だけになりがちです。
そこに主体的な思考判断表現は働きません。
それでは仮に教師の指導で教科書のその文章は音読できるようになっても、自分が選んだ本は音読できないでしょうね。
「与えられた本を音読する」のと、「自分のお気に入りの本を○○に紹介するために音読する」のでは、音読の目的意識が繊細に変わってきますよね?
どこをどんな風に読もうか、という主体的な思考がぐるぐる回り始めるはずです。
そこが学習にとって大事なんだと水戸部先生は強調しているんだと思います。
ペープサートなどの工作的な、あるいは表面的な部分に目をとらわれてはいけません。
あくまでその言語活動を通して、どんな力を付けたいのか、が焦点です。