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1 子どもの誤った目標を判断する第二の基準
前回は、子どもたちの不適切な行動の段階的な進行と、その段階を判別する基準が、不適切な行動を目の当たりにする教師の側の感情であると述べました。このことからわかることは、気になる行動が不適切な行動から問題行動に事態が深刻化していくのは、客観的事実が深刻化しているのではなく、
受け取る側の心理的事実が深刻化している
ということです。
したがって、子どもたちから「死ね」「消えろ」などと暴言を投げかけられようと、ナイフを突き付けられようと、教師が「この子、こんなことまでして私の注目が欲しいのね」と捉えることができれば、その行動は「注目」を得るための行動であり、教師はその子にまだ十分に教育する力をもっていると言えます。しかし、同様の行動を子どもたちにされたときに、深く傷付き、その子の顔を見ることや傍にいることすら辛く感じたら、それは「復讐」のための行動であり、教師はその子への個人での対応はしない方がいいかもしれません。いや、しない方がいいでしょう。教師が何かしても事態が好転しないでしょうし、教師の傷は深くなる一方です。教師と子ども、双方にいいことが起こるとは考えにくいです。
子どもの不適切な行動の目標を判断する指標が教師自身の感情であるとは言いましたが、自分の感情をモニターするのが苦手な方もいますし、緊張状態に置かれると自分の感情に気づくこと自体が難しい場合もあります。そうしたときには、次の方法をおすすめします。
子どもの不適切な行動を、あなたが直そうとしたときの子どもの反応
を見ることです。
不適切な行動そのものではなく、その結果としての子どもの行動に注目します。どのように解釈するかは、下の図のようになります。子どもが不適切な行動をしたときに、あなたがそれに声をかけたり注意をしたりします。子どもはその時に、一旦はその行動を止めたり、意外なほど素直に「ごめんなさい」と謝ったりするかもしれません。しかし、すぐに同様の行動が繰り返される場合は、「注目を引く」ための行動だと判断します。また、子どもが「はあ?」とか「なんで、私ばっかり」などと口答えをする場合は、「力比べ」をしようとしているのかもしれません。また、不満そうな表情をしてしぶしぶ従うかもしれません。その場合も、実質は言われたことに不服を示しているわけですから、「力比べ」をしていると判断していいかもしれません。「仕返し」の場合は、言ったことに背くのではなく、教師を傷付け、ダメージを与えようとします。「死ね」とか「うざっ」と吐き捨てるように言うなど言語化される場合もありますが、声をかけると顔を背けて無視したり、傍に立つと体ごと避けたりするような非言語によるものもあるでしょう。また、教師が全体で話している時に仲間同士で意味ありげな目配せをしたり、こそこそ話をするような場合もあるかもしれません。「無能力の誇示」の場合は、さらにその度合いが進みます。教師が何を言ってもあたかも教師がそこにいないかのようにスルーします。寝たふりをしているようなこともあれば、路上で会話するようにおしゃべりしていることもあるでしょう。
「そんなことする子がいるのか」と信じられない方もいるかもしれません。一方で、もっと凄まじい現場を見ている方もいることでしょう。ここら辺の話は、実際に体験なさった方でないと実感できないところが悩ましいところです。
子どもたちが不適切な行動をする理由を「原因」に求めると、それは複雑な要因が絡んでしまってよくわからなくなることがあります。原因とは、未整理のおもちゃ箱のようなものです。過去に起こった「それらしいこと」がばらばらに詰め込まれています。しかし、その理由を「目的」に求めるとある程度はシンプルに整理されます。子どもたちは、好ましい行動で居場所をつくろうとしていたはずです。しかし、それがなんらかの要因で叶わなかったときに、「注目を引く」「力比べ」「仕返し」「無能力の誇示」という誤った目標をもつと考えられます。
2 不適切な行動をする子がわかっていることとわかっていないこと
みなさんの目の前の気になる子の目標を考えてみましょう。
これまで述べてきた4つの目標のどれかに当てはまりますか。気になる子の不適切な行動を指導しようとしたときのあなたの感情や、その時の子どもたちの反応を思い返してみてください。子どもたちの目標をうかがい知ることができるかもしれません。しかし、「どうもはっきりしないな」という方もいることでしょう。
それは無理もありません。気になる行動の目標は、単一ではなく複数を併せ持っている可能性があるからです。これも少し考えてみれば、当たり前のことだとわかります。子どもたちの状態は一定ではありませんし、何よりも、私たちの感情もいつも同じとは限りません。同じ行動を目にしても、いつも同じように受け取るわけでありません。教師自身の気分、時には天候や気温なども影響するかもしれません。したがって、教師は自分のコンディションをしっかり整えておく必要があります。
教師自身の感情が不安定だったり弱っていたりすると、客観的に見ると大したことがないような子どもたちの行動を拡大解釈してしまう
ことがあるからです。そして、その最初の対応が子どもたちに誤った目標をもたせてしまう場合があるからです。
気になる行動は、多くの場合反復します。繰り返されるからこそ、気になる行動となるわけです。一度や二度でそれを止めてくれたら、気にならないわけです。そして、その気になる行動の頻度や程度が増すことによって不適切な行動となり、やがてはそれが問題行動に成長します。
しかし、みなさん不思議だと思いませんか。教師は、不適切な行動をする子を注意したり叱ったりすることがあります。時には、かなりキツく叱ることもあります。叱られれば子どもたちは、かなり不快な思いをしているはずです。相当に嫌な感情を味わっているはずです。それでも不適切な行動をします。にもかかわらず、その行動は繰り返されることがあります。もちろん、叱られれば止める子もいるにはいます。しかし、止めない子どもたちがいるから教師の苦労が絶えないのです。普通に考えたら、嫌な思いをするのだからやめればいいのにと思いませんか。
不適切な行動を繰り返す子どもたちがわかっていることとわかっていないことがある
のです。彼らは、不適切な行動をすればどういうことになるか、また、どういうことが起こるかはある程度はわかっています。これをすると叱られ、不快であり痛い思いをするということはわかっていることでしょう。しかし、自分が何のためにそれをしているかはわかっていないのです。彼らは自分たちの行動が、注目を引くためだったり、力比べをするためだったり、傷付けるためだったり、お手上げだと思わせるためだとはわかっていません。だから、当然、自分が居場所をつくるためにそれらをやっていることはわかっていません。不適切な行動の目標や目的は認知されていないのです。彼らの行動にラベルを貼り、意味付けているのは教師の認知です。彼らから見れば、それはただの行動です。彼らの感覚としては、やりたいからやる、よくわからないけどやっちゃうというようなレベルだと思います。水を飲む、ご飯を食べるくらいに自然なことなのかもしれません。
何のためにそれをしているかわからないから、反復するのです。自分でもその目的がわからないからコントロールがきかないわけです。もし、彼らがその目的を自覚できたら、その行動にはもう少しコントロールがきくのではないでしょうか。水を飲むことやご飯を食べることと性格が異なるのは、不適切な行動は居場所を求める行動なので、社会的文脈の影響を強く受けていることです。人との関係の中で起こっているということです。
したがって、教室において不適切な行動が表出し継続するときに、最も影響力をもっている教師は重要な役割を担っています。勿論、教師によって不適切行動が生起しているとは言いません。子どもたちが何となくやる気がなかったり、甘えん坊だったり、離席をしたりすることやすぐ感情的を爆発させてしまうことの全てを教師が引き出してしまっているとは考えにくいです。ただ、それらの行動を誘発し、強化している可能性は否定できないのです。
子どもたちの不適切な行動は、社会的な注目を巡って展開されます。つまり、
不適切な行動には相手役が存在する
ということを忘れてはなりません。ここまで述べてくると勘のいい方は、子どもたちの不適切な行動にどう対応すればいいか大体予想がついてきたのではないでしょうか。