- 著者インタビュー
- 道徳
道徳の教科化に伴い、教科書道徳が必須となりました。これまで道徳授業にしっかりと取り組んでこなかった教師にとっては取り敢えず35時間の道徳授業を成立させるという上で進歩となりますが、これまでさまざまに工夫しながら道徳授業研究をしてきた教師にとっては、教科書内容は子どもたちの理性や感性に訴える力が弱く、正直なところ行政によって心ならずも「後退させられている」という思いがあります。とはいえ、学校教育全体としては教科書道徳は道徳授業を定着させるにはプラスとして働くことでしょう。こうした認識から、もともと道徳授業に一所懸命に取り組んできた先生方も「後退している」という思いを抱くことなく道徳授業づくりに取り組んでいくにはどうすればいいか、どういう発想に立てばいいかというような問題意識で本書を執筆しました。
道徳授業の題材は教科書のみならず、私たちを取り巻く環境を構成するすべての要素が題材としての可能性をもっています。そうした中で、「子どもの実態に合っている」「時代の要請に合っている」「教師が本気になれる(興味関心を抱ける)」というような条件があるように感じています。しかし、子どもがよく知っている現代的な題材を扱えばうまく行くかというとそうでもありません。子どもがよく知っていても、その題材について教師がよく知らない、本音ではくだらないと馬鹿にしている、本音では適切な教材だと感じていないというようなことがあると、授業としては機能しづらいんですよね。いくら教材が素晴らしかったとしても、教師が乗り切れない授業では子どもたちが乗れるはずもないんです。こうした構造は授業研究ではあまり話題になりませんが、とても大切なことだと感じています。しかも道徳は他教科に比べてこの構造に陥る可能性が高いんです。こうした観点からさまざまに教材開発してきたということですね。
本書の中でも詳述していますが、授業というのは導入からさまざまに布石を打ち、それを終末までにすべて回収するという「漫才」とか「演劇」みたいな構造をもっているんですよね。その意味で最後に伝えたいメッセージを最初に明確化し、それに必要なことだけで授業を構成していけばすっきりした授業になります。あまりに単線的だからと潤いをもたせようとする場合にも、あくまで最終メッセージに矛盾しない潤い、豊かさを意識することができます。ところが、授業を最初からつくると、最後が決まっていないままに「あれもやりたい、これもやりたい」となって、どうしても終末が収拾がつかなくなる、そういうことになりやすい。これを避けるためにも、まずは後ろからつくることを推奨しているわけです。
正直、教科書教材には子どもたちに「機能する」ような教材が少ないと感じています。生徒作文と称してありきたりの出来事が掲載され、子どもたちには偽善に見えてしまうとか、文学作品をリライトしすぎて焦点ぼけしたり豊かさを欠いたりしてしまうとか、そういうものが並んでいます。そこで自主開発教材とコラボレーションさせることによって、教科書教材で明らかにした問題構図を別の教材で深く考えたり、自主教材で提示された観点で教科書教材を読んでみたりする。こうした授業構成を採ることで道徳授業は格段に機能するようになります。
まずは自分自身が道徳授業を愉しめる、そしてできれば自分自身で道徳授業を創ることを愉しめる、そんな教師像を抱いている先生方に、誠意をこめて執筆したつもりです。ご笑覧いただければ幸いです。