きょういくじん会議
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七夕をたなばたと読むのはなぜ? 七夕のはじまりから
kyoikujin
2008/7/7 掲載
たなばたものがたり (行事の由来えほん)

 7月7日は織り姫と彦星が年に一度会うことのできるという七夕の日です。学校や公立図書館などでも、願いごとを短冊に書いた飾りが見られます。この「七夕」、古くは「しちせき」と呼ばれていましたが、日本の「棚機(たなばた)」行事と結びつくことによって、「たなばた」と呼ばれるようになりました。この中国伝来の「七夕」と日本の「棚機」について、少しご紹介いたします。

 中国では、1世紀前後にはすでに七夕の伝説ができていたといわれています。その伝説には二つの要素があり、一つ目は、星の名前としてだけあった織女(こと座のベガ)と、牽牛(わし座のアルタイル)にいつしか結び付けられた恋愛物語です。天帝が、娘で機織りの織女と、働き者の牛使いである牽牛とを結婚させたところ、ふたりが遊んでばかりで仕事をしなくなったため、天帝が怒って引き離し、7月7日に年に一度だけ会うことを許したという物語です。
 二つ目は、古代中国の宮廷で行われていた、7月7日の夜に織女星をながめ祭壇に針などを供えて技芸の上達を願う乞巧奠(きこうでん)という行事です。はじめは願いごとは多様でしたが、梁王朝の頃に星をながめて技芸の上達を乞う(乞巧)ような形が定まったのだそうです。
 なぜ7月7日なのかというと、陰陽五行説に基づいた陽の数である奇数のぞろ目でよい日付であることと、この二つの星がちょうど真上に天の川を挟んで見える時期だったからではないかと考えられます。

 二つの話が中国で七夕伝説としてまとまり、日本には遣唐使などによってもたらされました。その七夕が日本の、棚機女(たなばたつめ)という巫女が水辺で神の降臨を待つといった民間信仰と結び付きました。なので日本の行事の呼び名である「たなばた」がそのまま中国語「七夕」の訓にあてられました。7月上旬は農業が一段落しており、実りの神を待つ時期でした。

 この7月7日というのはもちろん旧暦のことです。今の暦だと7月7日はまだ梅雨で、とても星をながめるお祭りはできません。そこで国立天文台は、2001年から「伝統的七夕」の日を求め、報じています。旧暦は現在は使われていないため、旧暦の7月7日に近い日を独自に求めています。今年は8月7日でちょうど一ヶ月後です。この時期は、本当に織女と牽牛が輝く夜空を見ることができそうです。

 さて、7月7日の今日、洞爺湖サミット初日ということもあり、「七夕ライトダウン」運動が行われるとのこと。ただ、述べてきたようにベガとアルタイルがよく見える日は今年は8月7日なので、期待するような星空は、電気を消しても見ることはできない…かもしれません。

この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
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