100万人が受けたい!中学社会授業ネタ
100万人が受けたい!「社会科授業の達人」河原和之先生の最新授業ネタ。斬新な切り口による教材アイデアで、子ども熱中間違いなしです。
社会科授業の達人(6)
太陽暦が採用されたワケ
―「知識」習得と「見方・考え方」―
立命館大学非常勤講師河原 和之
2020/11/20 掲載

授業のねらい―社会的な見方・考え方を鍛えるポイント

  • 歴史

2021年4月から中学校新教科書が登場する。ページ数が増え、必然的に教えなければならない「知識(語彙)」が増加する。そのうえ、歴史的分野では「推移」「比較」「相互の関連」「現在とのつながり」など「見方・考え方」が重視される。「知識・理解」も「思考力・判断力」も……そして「対話」もである。「子どもの興味・関心のあるネタも大切だが、そんな余裕はない」「対話をする時間はない」「興味も大切だが、チャレンジテストに対応しないと(大阪)」など現場の苦悩は続く。今回は、「太陽暦が採用されたワケ」という課題から、「知識」とともに「見方・考え方」を育成する授業事例を紹介する。

1 太陽暦はいつから?

 

〈発問〉
現在使っている1年365日という太陽暦はいつ制定されたか?

「年表には1873年となっている」

「歴史資料集には1872年採用と書いてある」

教師『ということは、1872年に政府が採用を決定し、1873年から実施されたということだね』

〈発問〉
1872年の12月の途中に改暦され1873年1月1日になった。何日か?

 25日、20日、30日、10日、15日……等々。
 答えは3日である。12月2日が太陰暦最後の大晦日で、12月3日が1月1日になったことを確認する。

〈ペア学習〉
1872年12月は2日しかなかった。12月2日の次は1月1日だ。大晦日の年越しそばはいつ食べたのか?

 意外性のある発問なのか、楽しく話し合っている。

「12月2日に食べた」

「いくら暦がかわったといっても習慣は残るから、1873年1月28日の太陰暦の大晦日に食べたと思う」

「2回食べたかもしれない」

教師『当時のおそば屋さんの証言によると、1873年1月28日と1873年12月31日に食べたらしい。ということは、一般庶民は、太陽暦ができたからといって習慣的には旧暦のままだった』

2 こんなトラブルも……

〈考えよう〉
改暦をするとどんなトラブルがおこるか?

「運動会の日を間違えて旧暦で見学に行く」

「野球の試合日程の間違い」

「デートの日を間違い雰囲気が悪くなる」(笑)

 混乱のようすを次の資料で紹介する。

 備中国で、ある商人の息子に嫁をとるようになり、婚礼を9月○日と決めていた。嫁のほうは、その日に向け支度を整え、数里の道を歩き家に行ってみると、婿の家は戸を閉めたまま静まりかえっているではないか。おかしいと思って戸をたたいてみると、中から婿がでてきてびっくりしてしまった。婿は「帰ってください」という縁起の悪い言葉は言えないので、急遽、支度をして結婚式を行ったという。つまり、嫁は新暦によって、婿は旧暦によって、お互いが日にちを理解していた。(『東京日々新聞』より要旨)

3 なぜ改暦を急いだのか?

 この改暦の公表は11月9日だった。そして1か月後には実施している。なぜ急いだのだろう?

〈発問〉
1872年の12月は2日しかなかったが、この時の12月分の役人の給料は支払われたのだろうか?

 「支払った」「支払っていない」のどちらかに挙手させるが、圧倒的に「支払っていない」が多い。理由を聞くと「2日程度だから払うことはまずない」という意見。この年の12月分の給料は支払われていない。しかも1873年は太陰暦のままでいくと、閏6月である。閏6月というのは、太陰暦では毎年11日ほど不足するので、3年に1回、1か月の閏月を加えた。そしてこの12月の給料とあわせて2か月分の役人の給料が支払われていない。

図1

〈グループ討議〉
2か月分の役人の給料を、明治維新のどんな政策に使用したのか? 年表を見てグループで考えよう。

〈年表抜粋〉
1871年 郵便制度 廃藩置県 散髪、脱刀許可 解放令
    岩倉使節団を欧米へ派遣
1872年 富岡製糸場操業 国立銀行条例 学制 新橋―横浜間鉄道開通
    (太陽暦を採用)
1873年 徴兵令 征韓論 第一国立銀行設立 地租改正

  1. 1872年:学制によって学校をつくり、先生を雇わなくてはならない
  2. 1873年:徴兵令では、兵隊を訓練するための費用が必要
  3. 1872年:新橋―横浜間に鉄道を走らせるのに、莫大なお金がいる
  4. 1871年:郵便制度によって、郵便施設の設置をはじめ、多くの公務員を雇わなければならない
  5. 1873年:国立銀行を建設するお金がいる
  6. 1872年:富岡製糸場では、工場建設費用や士族の娘を鍛えなくてならない
  7. 1871年:岩倉使節団は、かなりのお金が必要


Point▶ 近代化のための「お雇い外国人」にも多額のお金が必要だった。
造幣寮支配人キンダーの月給1045円を筆頭に、平均は180円だった(太政大臣三条実美は800円だった)。大森貝塚を発見したモース、札幌農学校(現北海道大学)開校者クラーク、日本美術史家フェノロサなどがいた。


4 なぜ太陽暦に?

〈考えよう〉
突然の改暦は、日本の近代化を急ぐ必要があったこともその理由である。「近代化」という観点から改暦の理由を考えよう。

「西洋がすべて太陽暦だったから」

「外国との取引のためには太陰暦では混乱する」

「すべてリセットするということを国民に示すため」

「海外とのやりとりがしやすい」


Point▶ 鉄道、電信、郵便、学校、軍隊などいろいろな改革には財源が不可欠である。太陽暦にすれば、2か月分の役人の給料の一部で補填できる。また、日本の近代化や海外交易のためにも不可欠な政策であったことを確認する。


5 おわりに

 「なぜ改暦を急いだのか?」という問いから「財源」をキーワードに「明治新政府の政策」を考えさせた。授業過程に「郵便」「官営工場」「鉄道」「学制」「徴兵令」「地租改正」などの歴史的事象を位置付けることで、「知識」を歴史の「脈絡」「文脈」から理解することができる。
 “急”といえば「鉄道建設」も同様である。お雇い外国人モレルは、日本で最初の「過労死」で急死した。「なぜ鉄道建設を急いだのか?」という問いに対しては、「経済発展に不可欠」「軍や兵器の輸送のため」「国民に文明開化のすごさを明示するため」などの意見が予想される。
 「興味・関心」と「知識・理解」そして「見方・考え方」をバランスよく習得するためには、「単元を貫く課題」を設定し、関連する「知識」をスモールステップで確認しつつ学ぶ授業が大切である。

【参考文献】
NHK歴史誕生取材班編『歴史誕生5』角川書店
河原和之『歴史リテラシーから考える近現代史 面白ネタ&「ウソッ」「ホント」授業』明治図書

河原 和之かわはら かずゆき

 1952年京都府木津町(現木津川市)生まれ。関西学院大学社会学部卒。東大阪市の中学校に三十数年勤務。東大阪市教育センター指導主事を経て、東大阪市立縄手中学校退職。現在、立命館大学、近畿大学他、6校の非常勤講師。授業のネタ研究会常任理事。経済教育学会理事。NHKわくわく授業「コンビニから社会をみる」出演。
 月刊誌『社会科教育』で、「100万人が受けたい! 見方・考え方を鍛える中学社会 大人もハマる最新授業ネタ」を連載中。
 主な著書・編著書に、『100万人が受けたい! 見方・考え方を鍛える「中学社会」大人もハマる授業ネタ』シリーズ(地理・歴史・公民)『続・100万人が受けたい「中学社会」ウソ・ホント?授業』シリーズ(地理・歴史・公民)『スペシャリスト直伝!中学校社会科授業成功の極意』『100万人が受けたい「中学社会」ウソ・ホント?授業』シリーズ(地理・歴史・公民)『100万人が受けたい! 主体的・対話的で深い学びを創る中学社会科授業モデル』(以上、明治図書)などがある。

(イラスト:山本松澤友里)

(構成:及川)

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