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- マスターしたい指導技術集
- 教師力・仕事術
教える技術の一つに、「模倣」があります。真似をさせて、やり方を教えていくわけです。
例えば、絵を描かせる際。
まずは、お手本となる絵を見せます。
そして、描き方を、教師がやって見せます。
その上で、子どもにやらせてみせます。つまり、真似をさせるのです。
真似をさせても、一度ではうまくできません。
そこで、良いところはほめ、悪いところは助言します。
こうして子どもは、お手本の真似をしながら、絵の構図や描き方を学んでいくわけです。
真似するだけだと、子どもの発想力がつかないのではないでしょうか。
このような反論が思い浮かぶ人も多いかと思います。
「模倣」だけでなく、子どもに考えさせるべきだという反論です。
この反論は、もっともです。
ここで問題となるのは「何を子どもに考えさせるべきなのか?」という点です。
模倣させずして、子どもに工夫を求めると、低いレベルの発想しか引き出せません。模倣を取り入れて、その上で、工夫を考えさせるべきなのです。
例えば、「お手本の絵を見て、お手本とは違う工夫ができるかな?」と問います。すると、上手なお手本に、さらにプラスした工夫を、子どもは考えることができます。
構図を変えたり、登場人物を変化させてみたり、背景を変えたり、視点を変えたり…、子どもからたくさんの工夫が出てくるのです。
お手本を参考にさせることで、レベルの高い発想を引き出すことができます。
子どもから発想を引き出した絵は、子ども自身が自分の絵にほれぼれするような出来になります。もちろん、友達からも絶賛されます。
ある子は、絵に自信がなかったのですが、この技術を使って絵を描かせたところ、市内で最優秀賞をとりました。本人もびっくりしていました。
このような「模倣」を取り入れる技術は、言い換えれば、「真似させてから、工夫させる」技術です。
現場では「模倣」を取り入れた授業をしていると、批判(非難)されることがあります。「模倣」がだめなものという風潮は、現場に根強く残っています。大変残念なことです。
佐藤一斎は、「凡そ教えは外よりして入り、工夫は内よりして出づ。」と言いました(「言志後録」五条より)。
外から教えられた結果として、工夫が内から出てくるのです。
我々教師は、「模倣」を取り入れた授業の価値をもっと見直すべきではないでしょうか。
「模倣」を取り入れた授業は、いろいろな場面で使えます。
例えば、運動会の表現指導。
何らかの動きを創作させるとします。
このとき、いきなり「自分なりに動きを考えてごらん」と、工夫を引きだそうとすると、失敗します。子どもからは、レベルの低い発想しか出てきません。
そうではなくて、まずは「模倣」から入るのです。
オリンピック競技の動きを創作させるのであれば、例えばこんな動きがあるよね、と教師がお手本を見せるとよいのです。
そして基本となる動きは、お手本で見せておいて、ここからさらに工夫はないかを子どもに考えさせるのです。
すると、教師が見せたお手本を真似しながら、それよりも一つ、二つと子どもたちは工夫をします。何も教えずして、工夫を引き出そうとするよりも、何倍もよい動きが子どもから出てきます。
ただし、ここで終わってはいけません。
ここからさらに、グループごとに「見せ合い」をさせます。
それぞれのグループが考え出した表現を、「見せ合い」させるのです。すると、「あのグループの動きはとても工夫されているな」という工夫が見つかります。
ここで、「他のグループの動きを真似てもいいですよ。」と教師が助言します。
子どもたちは、「真似てもいい」と言われると、安心して動きを取り入れることができます。
ちょっとぐらい似ていてもいいのです。子どもは必ず工夫をします。少しだけ動きを変化させるとか、動きは同じでも表現の順番を変えるとか、何らかの工夫をするものなのです。
こうして、真似をさせてから、子どもの工夫を引き出すようにすれば、あとは教師がほめるだけで、子どもが勝手に工夫を加える状態になります。
まずは、真似をさせること。
次に子どもから工夫を引き出すこと。
「真似をさせて、工夫を引き出す」ような指導をもっともっと取り入れて、子どもを伸ばしてほしいと思います。
子どもの授業満足度が高いのは、模倣を取り入れて高いレベルの発想を引き出したときです。
反対に「教えずに、工夫させた」授業では、レベルの低い発想しか出ません。これでは、子どもの力を引き出せないばかりか、子どもの満足度も下がってしまいます。