- 1人1台端末の授業づくり
- 授業全般
二年間続いてきたこの連載も今回で終了になります。
ここまでの連載は初めての経験でした。
ありがとうございました。感慨深いです…。
それでは…、また!
とはいかないので、
最後のテーマ「板書とタブレット端末と学び」についてです。
(なんかテーマが平松愛理さんのあの曲のような感じはしますが…)
ちょうどこの原稿を書いている数日前に、「GIGA時代の板書を考える」というセミナーを実施したところです。
登壇者に共通していたのは、
板書は見た目重視ではなく、
その授業に参加している子どもたちの学びを深めているかどうか
そのために、板書をどう活用しているのか
ということでした。
今回の連載は私が提案したことをまとめたものです。
1 板書の役割とは
Wikipediaで「板書」と調べてみると、
板書(ばんしょ)とは、近代の学校教育において学校の教師が学習事項を黒板に書くことである。児童・生徒・学生は、それを受動的に書き写すことになる。転じて、主に数学で生徒に宿題を出して黒板に書かせることも示す。
と出てきました。なんだか悔しくありませんか。
「受動的に書き写す」と書かれているんです。能動的ではないんです。受動的なんです。
まぁ、でもそのように思われている方はとても多いことでしょう。
この印象を払拭していかないといけません!
これからの板書は、
板書=ノートではない
ということです。もちろん学習場面や状況によっては、板書=ノートのときもあることでしょう。でも、板書=ノートがスタンダードではないのです。
板書を残しておきたいのであれば、タブレット端末で写真を撮ればよいのです。
ノートだと、新しいノートになると前に書いたことに戻れなくなります。
タブレット端末だと一つの画面上でこれまでのことを振り返ることができます。
今話題のChatGPTに「板書の役割とは?」と質問したところ、
板書にはいくつかの役割があります。
視覚的なサポート:板書は、話者が説明する内容を視覚化することができます。これにより、聴衆がより理解しやすくなります。
覚えやすさ:板書には、情報を整理して提示することができます。これにより、聴衆はより簡単に情報を覚えることができます。
時間の節約:板書を使うことで、話者が同じことを何度も繰り返す必要がなくなります。また、聴衆は話者が説明する内容を自分で読むことができるため、話者が説明することに集中できます。
コミュニケーション:板書は、話者と聴衆の間でのコミュニケーションを促進します。聴衆が板書を見て、話者に質問したり、コメントしたりすることができます。
レビューの支援:板書は、講義やプレゼンテーションの後に、聴衆が再度復習するために使用することができます。また、板書を撮影することで、後で復習することもできます。
という回答が返ってきました。なかなか興味深いものばかりです。レビューの支援の項目で、板書を撮影するというところを読んだときには、にやっとしました。やはりAIも同様のことを考えているのですね。
では、私が改めて考えた学びに関わる板書のスタンダードな役割は以下の4つです。
- 学習内容の提示
- 学習内容全体の見通し
- 思考の流れの明確化
- 事実や考えの共有
今回は一つひとつの説明は省きます。
2 タブレット端末の役割とは
一方で、タブレット端末の役割(役割といったほうがいいのか、よさといったほうがいいのかは最後まで迷いましたが)は以下の6つだと考えました。
- 可視化
- 個別化
- 共有化
- スピード化
- 保存化
- シームレス化
「4.スピード化」は例えば、
タブレット端末導入以前:一人の子が挙手をして考えを発表したこと
タブレット端末導入後:全員の考えを見ることができ、誰がどのような考えをしているのかを知ることができる
といったように、これまで以上に他者の考えを早く知ることができます(解釈しているかは別問題)。
「5.保存化」は、学習支援アプリがクラウドであるため、自分が必要だと思った情報や資料をこれまで以上に自分で保存することができたり、必要なときに取り出すことができたり、クラウド上にあるものを自分の判断のもとに使用したりすることができます。
「6.シームレス化」は、クラウドであるために、学校の続きを家でストレスなく取り組むことができたり、学校でしていたことをそのまま行うことができるというのはやはり大きいことです。連載で紹介したデジタルブロックも家で使うことができます。
3 板書とタブレット端末を関連づけると…
1.学習内容の提示、2.学習内容全体の見通し、
3.思考の流れの明確化、4.事実や考えの共有
と
1.可視化、2.個別化、3.共有化、
4.スピード化、5.保存化、6.シームレス化
を大きく関連づけたのが下の画像になります。
「1.学習内容の提示、2.学習内容全体の見通し、3.思考の流れの明確化、4.事実や考えの共有」の4つは、「1.可視化、2.個別化、3.共有化」と結びつくと考えたのです。
連載17回では、SAMRモデルということを紹介しました。
これまでしてきたことをタブレット端末で代替する(SAMRモデルの「S」の段階)だけでは、「別にタブレット端末いらないんじゃない?」論争が起こるということを書きました。
上記の場合、「1.学習内容の提示、2.学習内容全体の見通し、3.思考の流れの明確化、4.事実や考えの共有」の4つが、「1.可視化、2.個別化、3.共有化」に「代替」していると考えることができます。だから、このままでは別に板書でいいじゃんという論争が起こる可能性があるということです。
そう考えると、これからの板書とICTを考えていくときには、結びついていない
「4.スピード化、5.保存化、6.シームレス化」
に取り組むことがより大切になるということです。
ここにタブレット端末のよさがみえてくるはずです。
ここを考えていくことが、SAMRモデルの「A」「M」の段階へといくことにつながります。
そして、板書の役割で1つ書いていなかったものがあります。
それが、
「5.学びを深める補助」
です。
前回にも書いていますが、学びを深めていくことをタブレット端末はしてくれません。
先生の出番です。そして、その先生の補助をしてくれるのが黒板だと私は考えています。
だから、これからも基本的には板書をすることはなくなりません。
4 板書を使わないケースもあるかも…
つまり、私はこのように考えています。
子どもたちが発表する考えはいつも洗練されたものとは限りません。
曖昧な考えを板書を使い、整理をしていき、みんなの共通言語にしていく。
そして、その共通言語をもとに学びを深めていく。
こうやって学びを深めていきます。
勘違いをしてほしくないのは、板書で教師の思い通りに整理をしていくというわけではないということです。
また、板書で整理をしていくなかで、考えを解釈しあったりと学びを促していきます。
でも、
もしタブレット端末上で子どもたちの共通言語があり、洗練されたものがあった
としたらどうでしょうか。
そのときは、板書は必要ありません。
(むしろこのとき板書をして整理をしていくと、子どもたちにとっては二度手間に感じsてしまい、子どもの思考が停滞してしまう恐れがあります)
図のように、板書を使わなくてもよいという状況になります。
そして、板書を使わないケースがあります。
それは、学びを深めていく場面がない授業です。
そうであれば、そもそも使う必要がないのです。
やはり私はこれからも学びを深めていくために板書は使用していくと考えています。
みなさん、最後までお読みいただきありがとうございました。
最後に宣伝をさせてください。
本連載をまとめ、加筆修正した本が出版されます。
夏頃に出版される予定です。
それでは、またどこかでお会いしましょう。