- 教育オピニオン
- 道徳
世の中、どこかおかしい。
ごね得、横車、無理押しや、法の精神を踏みにじる輩は、昔からいることはいた。
だが、それは一部に限られ、その部分を「シャットアウト」することで社会はビクともしなかった。まじめに生きたい人間は、それこそ普通に、まじめに生きていくことができたのだ。
だが、ここのところ、雲行きが怪しくなってきている。シャットアウトできない部分で、そのようなことが生じてしまっているのである。
たとえば、沖縄県教育委員会、竹富町教育委員会だ。子供に「決まりを守ろう」と指導すべき立場にある者が、詭弁を弄して法令をねじ曲げる。子供が同じようなことを始めたら、なんとするのか。
たとえば、軽口をたたいて問題になる大臣たちだ。国民の模範たるべき地位にあるという自覚がこれっぽっちもない。黙って結果を出す。結果が出なかったら、黙って辞表を出す。それでこそ「国民の模範」であろう。
まったく困ったものである。
だが、なぜ、おかしくなってしまっているのかである。
原因ははっきりしている。「道徳」である。日教組の道徳授業拒否による効果が、今、出現してきているということなのだ。道徳を学んでこなかった世代が、社会の中心を担う時代になっているのである。
このままでは、国家の背骨が溶けていってしまうと言わざるを得ない。
だが、まだ間に合う。心ある教師たちには、ぜひ道徳授業に取り組んでいただきたいと願う。
その視点は、たった一つである。
「何が美しく、何が尊いことなのか」
たとえば、
1.親孝行せよ。
これに反対する者はいまい。「親孝行をしてはいけない」という真理など、どこを探しても出てこない。
次はどうか。
2.兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合え。
3.夫婦は仲睦まじくせよ。
4.友達同士信じ合え。
5.言動は慎み深くせよ。
6.すべての人々に愛の手を差し伸べよ。
7.学問を怠ることなく、仕事に励め。
8.知識を養え。
9.人格を磨け。
10.進んで社会公共のために尽くせ。
11.法律や秩序を守れ。
12.非常事態が起きた場合は、真心を以て助け合い、国の平和と安全に貢献せよ。
どこの世界に「友達同士信じ合うのに反対だ」などという者がいるかである。
断言してもいい。これらに反対する人など、どう考えてもいるはずがない。いずれも、何人にも共通する真理なのである。
にもかかわらず、この大切な事柄は反社会的な勢力により消し去られてきた。なぜなら、これらは「教育勅語」に書かれていることだからである。その結果が、今日の状況を生み出しているということなのだ。
もう、そんなくだらないことはやめなくてはならない。
大切なことは、いつの時代でも大切なことなのだ。
「教育勅語」に示されている12項目をきっちりと教えていく。そうすることで、「国家の背骨」ができていくのである。