教育オピニオン
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独りよがりの反乱
政策研究大学院大学客員教授戸田 忠雄
2012/1/6 掲載

 2011年11月に読売巨人軍の清武氏が、上司の渡辺恒雄氏が巨人軍の人事に横槍を入れたのがケシカランと告発する記者会見を開き、現在は互いに告訴して係争中だという。真偽のほどは承知しないが、渡辺氏はやり手でワンマンだという風評がある。しかし、清武氏が記者会見を開いて「コンプライアンスに違反している」と大義をふりかざすのを聞き、私企業の「ただの内輪もめじゃないか!」と違和感をおぼえた。
 たまたま『AERA』(2011年12・19日付)で、ノンフィクション作家による「元東京都立三鷹高等学校長土肥信雄」というレポートが目に入った。丸谷才一の『たった一人の反乱』をもじったのか、サブタイトルに「元都立高校校長のたった一人の<反乱>」とある。現在、係争中のようだが、「都教委を相手に非常勤教員不合格と人権侵害について提訴」とある。しかし、それ以前から校長として都教委のやり方に、腹を据えかねていたという。とくに、2006年4月に都教委が出した通知「職員会議での挙手・採決の禁止」に反対したこと、その他もろもろ都教委との間でマサツがあったようだ。校長退職後に非常勤教員の再任に応募したが叶わなかったのは、それらのマサツが原因で不当だというのである。
 裁判の判決はこの1月に出るから内容の詳細には触れないが、都教委と土肥氏とのマサツについて、このレポートと土肥氏自身が書いた「学校の言論の自由を守るために」(『学校から言論の自由がなくなる』岩波ブックレッド2009年2月所収)を見る限り、ただの「内紛」としか映らない。しかも、これは冷戦と55年体制の時代によくあった、「勤評反対闘争」「主任制反対闘争」、さらには日教組と文部省の和解後にも続いた「反国旗・国歌闘争」の再現、つまりディジャブ(既視感)のような錯覚をおぼえる。それは、土肥氏の問題提起が「権力対反権力」という、当時の二項対立の図式そのものだったからだ。
 学校教育法第37条4項に「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」とあるから、学校運営についてはほぼ全権を委任されていると解するのが常識であろう。校長職は学校の全権限をもっているから、本人の主観的な意図にかかわらず、学校の最高「権力」者なのである。学校の権力と都教委という学校設置者の権力との、いわば内輪の権力争いにすぎないのではないか。当時、他の高校長の賛同が得られなかったので、「たった一人の反乱」だそうだが、私には「独りよがりの反乱」としかみえない。
 都教委が校長をとび越して生徒の人権を侵害するような事案がおきて、生徒の人権を護るために校長が反旗を翻したのなら、きわめて公共性のたかい事例だといえる。そうではなく、あくまでも本人の身分保障と言論の自由を求めているのではないか。かつての日教組講師のような応援団がつき、イデオロギー的に利用されている点、また、管理部門の状況に精通しないナイーブな保護者の一部を巻き込んでいる点など、そして一部メディアがこれをメシの種にしている点、これらはまさに、55年時代の再現としか言いようがない。
 さらに問題なのは教委の制度的なあり方そのものより、属人的に教委内部の特定個人を問題にしている点だ。土肥氏の文書を読むと、当時の直属上司である某課長がこう言ったとか、某教育委員の横暴さが気に入らないとか、どうみても制度そのものよりも、運用する個人が気に入らないようにみえる。このように、特定個人の不適切な(土肥氏から見て)権限行使や乱用を問題にしているから、巨人軍と同じ「内紛」だというのである。 
 簡単に言えば、「校長としての権限にいちいちイチャモンつけて気にいらない」「会議で職員に挙手させようがさせまいがオレの勝手だ」という内部規律についての意見の相違をタテに公に裁判に持ち出すなど、組織原則や行政のあり方についての基本知識を欠いているとしか思えない。この程度の問題での教委と校長会との軋轢など、どこの自治体でもあることだろうし、むしろあってよい。私の属していた校長会でも、県教委と激論を交わしていた同僚諸氏はいくらでもいた。一校のリーダーたるもの、そのくらいの見識と覚悟をもって学校運営にあたるのは当然のことではないか。自分以外は都教委の言いなりなので「たった一人の反乱」など、独りよがりもいいとこで、他の同僚校長に対して失礼千万ではないか。
 氏が都教委との軋轢で悩んでいた頃、私たち内閣府規制改革では教育委員会の必置規制を外し任意設置にするべく、与野党の政治家をふくむ文教関係者と厳しい議論をかさね、それこそ政治的な圧力(氏の言葉を使えば「権力による弾圧」)により後退せざるをえなかった。そんな中でも制度改革では意見対立したが、カウンターパートナーであった文科省官僚の精勤ぶりには、人間として一定の敬意を払ったものだった(このあたりの事情は近著『教えるな!』に詳しい)。
 レポートによれば、土肥氏は生徒や保護者の信頼も厚い、評判のよい校長であったという。それならなおのこと、私怨や私憤を晴らすためと誤解されかねないような告発よりも、学習者(子どもと保護者)のためになる制度改革を、心がけて欲しかったとかえすがえすも残念に思うものである。

戸田 忠雄とだ ただお

1937年神戸市生まれ。専門は教育政策・学校論など。長野県私立・公立学校教員、公立高校長、予備校・塾統括校長、教育NPO代表、政府の審議会専門委員など歴任。信州経済戦略会議委員、学習参考書編纂主任、講演、研究会主宰など、さまざまな教育現場50年の経験を生かし多方面にわたり活躍。主な編著書『学校って何だ』(日本教育新聞社)『いま「学校」から子どもを守るために親ができること』(講談社)『「ダメな教師」の見分け方』『公務員教師にダメ出しを!』(ちくま新書)『学校は誰のものか』(講談社現代新書)『チエンジ教師の職業倫理』共著『教育バウチャー』(明治図書)編著『教育の失敗 法と経済学で考える教育改革』(日本評論社)など。近著『教えるな!』(NHK出版新書)は重版となり現在好評発売中(戸田忠雄ブログ)

コメントの一覧
2件あります。
    • 1
    • 名無しさん
    • 2012/1/9 16:28:35
    戸田先生のおっしゃっていることは、学校現場の実態を踏まえない「官僚的」なご意見のように思いました。東京都の学校現場では溌剌とした実践がしにくくなっているという実態があります。それは、自分の実践が管理職の意に沿ったものかどうかを絶えず気にしてしかできなからです。つまり、管理職の意に沿った教育実践しかできない雰囲気があるのです。管理職の意に沿わなければ評価が下がることは目に見ています。こんな自由のない学校管理でおおらかで溌剌とした実践はできないのではにでしょうか?戸田先生はそのことを一言も述べておられません。そういう学校現場での実態を踏まえれば、土肥先生の訴えは違った見方ができるのではないでしょうか?また。「権力対反権力」というレベルでのお考えは、戸田先生の立ち位置から見ても軽率ではないでしょうか?ましてや土肥先生の戦い方の問題を、個人的レベルでの問題にするなど、もう少し深く考えられたらいかがでしょうか?
    • 2
    • 戸田忠雄
    • 2012/1/10 15:28:34
    「名無しさん」投稿には感謝しますが内容には2,3申し上げたい点があります。第一にルールでは匿名でもOKとなっていますが、批判文であれば記名でなければアンフェアーではないでしょうか。学校でもネット上での生徒間の匿名のいじめが大きな問題であることはご承知だと思います。第二に『学校現場の実態を踏まえない「官僚的」なご意見』とレッテルを貼られましたが、根拠を明確にしていただかないと議論になりません。長ければよいというわけではありませんが、恐らく貴兄より教職歴が長い私が、なぜ貴兄に前述のようなレッテルを貼られるのか理解に苦しみます。第三に推測するに公立学校教師だと思われますが、となれば貴兄は公務員教師であり現職の官僚ではないでしょうか。私もかつてはそうでしたが、現在は一民間研究者に過ぎません。したがって、現在官僚である貴兄が、過去官僚であった私を「官僚的」と誹謗しているという奇妙なことになります。お気づきでしょうか。官僚とは社会的通称であって、法制上は「公務員」です。なにも、中央省庁のキャリア官僚だけを、官僚というわけではないのです。というわけで議論の入口で迷走しておられるのは残念なことです。
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