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はじめに
発達心理学の巨星ジェローム・ブルーナ(Bruner,J.S.)が2016年6月5日に亡くなられました。100歳だったとのことです。私はBrunerの理論に支えられ、障害児の発達研究、支援研究を行ってきましたので、追悼の意味を込めて現在の支援研究や、私の研究との関わりを中心にして、Brunerの足跡をおおまかに俯瞰してみたいと思います。正確で詳しいBrunerの業績や経歴の情報は、自伝的な「教育という文化」、「心を探して」、また岡本夏木先生によるBrunerの翻訳本の解説など、多数刊行されていますのでご参照ください。
ピアジェ派の認知発達心理学者としてヘッドスタート計画をリード
Brunerは1960年代には戦後のピアジェ派の認知発達心理学者として十分に有名でした(「認識能力の成長」明治図書、1968など)。J.F.ケネディー政権で教育顧問をし、低所得層の子どもへの数・文字の早期教育である「ヘッドスタート計画」(例えばテレビ番組「セサミストリート」など)の理論的基盤を提供しました。
共同注意などの乳児の社会的認知能力を「発見」
しかし、1972年にイギリスのオックスフォード大学に移り、8年間にわたって乳児研究に転じ、当時主流であったChomskyらの言語の生得説を批判し、大人の足場作り(scaffolding)などの親子の社会的相互交渉が言語発達を支えるシステム(Language Acquisition Support System :LASS)であることを実証的研究によって明らかにしました。また、共同注意(Joint attention、相手と一緒に同じ対象を見ること)を「発見」。社会的認知、文化心理学の領域を切り開きました。
特に、共同注意の発見の意義は大きいでしょう。
1975年にオックスフォード時代の教え子のScaifと共に、共同注意に関する短い論文を「Nature」誌に発表しました。
Scaif. M. & Bruner,J.S. (1975) The capacity for joint visual attention in the infant. Nature,253,24,265-266.
私が知る限りの科学論文としては、おそらく、はじめての共同注意に関する論文だろうと思います。
それまで、Piagetの観察・研究では乳児が他者視点を取得するのは、ずーっと先だと考えられていたのですが、ScaifとBrunerは0歳台の乳児が、母親の視線を追うのを「発見」したのです。
この共同注意という行動は、人類が数百万年前から行ってきた行動ですが、その重要性と意味を「発見」したのは、ScaifとBrunerだったのです。
Brunerらがいなかったら、共同注意はいまだに「発見」されていなかったかもしれません。あるいは、20年遅れたかもしれません。
オックスフォードでのBrunerの研究は、当時主流であった「言語を習得してから、コミュニケーションへ」といった考え方を、「まず前言語的なコミュニケ−ションがあって、それが基盤になって言語の習得へ」という考え方に、180度ひっくり返したコペルニクス的転換となり、言語発達や言語指導における「語用論革命(Pragmatic revolution)」の発端となりました。
ナラティブの発達と「心の理解」
1980年に、再びアメリカに戻り、ニューヨーク市立大学で、新しい研究の方向性を探りました。1980年前後から、発達心理学の世界では「サリーとアン課題」を中心にした「心の理論」研究が席巻しました。
Brunerは「サリーとアン課題」が「心の理解」の“卒業証書”のように扱われることに疑問を投げかけました。
彼は、エミリーという一女児が生後22か月から33か月までの時期に、就寝前に両親や自分自身に向けて自発的に話した、その日自分を困惑させた出来事から作った物語(ナラティブ)のパターンについて分析しました(Bruner & Lucariello,1989)。
2歳の後半の時期からエミリーはその日起こった出来事の因果関係について述べるようになりましたが、それに加えその時期、エミリーがその出来事をどう考え、どう感じ、また彼女が考えたことを彼女自身がどう感じたかについても話すようになってきました。
これらの結果から、Brunerは大人とのナラティブを通して、子どもは他者の心(信念や欲求)を理解するようになることを指摘しました。
発達障害児、特に自閉症児では、他者が感じていること、考えていることを理解すること=「心の理解」が困難ですが、Brunerの指摘するように、大人とのナラティブを通して、「心の理解」が可能になってゆくという考え方からは、「心の理解」の支援可能性が示されます。
すなわち、自閉症児と生活の行為や出来事を共有し、そこでの行為の繋がりだけでなく、その際に他者の心の動きを経験し表現することによって、自閉症児でも「心の理解」が可能になってゆくことを示しています。
Brunerの共同注意の発見、心の理解の発達への文化や大人の関わりの指摘に共通するのは、子どもの「心の動き」に注目しよう、子どもを「心を持った存在」として関わろう、ということだったと思います。
今、まさに、現代の子育て、保育・教育が見失いかけていることを、一貫して探し続けたBrunerの生涯であったといえるでしょう。
Brunerが「発見」してくれた「子どもの心の動き」を、私たちがさらに深く豊かに見つめることができるか、それが私たちの課題でしょう。
*Brunerの考え方をヒントに、自閉症児への「心の理解」発達支援の、筆者の拙い実践の試みは、長崎(2016a、2016b、2016c)をご覧下さい。
【参考文献】
Bruner, J. & Lucariello, J. (1989). Narrative Recreation of the World. In K. Nelson, (Eds.), Narratives from the crib. Harvard University Press.
長崎 勤(2016a)「心の動きの理解」への支援、その1−The Beatles: She loves youって?−、発達障害のある子への認知・行動的アプローチ(1)「LD,ADHD&ASD」2016年4月号、明治図書(p.62-65)
長崎 勤(2016b)「心の動きの理解」への支援、その2−「お出かけツアー」と他者の欲求・信念の理解−、発達障害のある子への認知・行動的アプローチ(2)「LD,ADHD&ASD」2016年7月号、明治図書(p.60-63)
長崎 勤(2016c)「心の動きの理解」への支援、その3−「カルピス・カフェ」を通した他者の意図理解・協同活動:相手の好む飲みもの、濃さ、量を知る−、発達障害のある子への認知・行動的アプローチ(3)「LD,ADHD&ASD」2016年9月号、明治図書(9月27日発売予定)
【Brunerの晩年の著書】
『心を探して―ブルーナー自伝』(田中一彦訳)みすず書房
『可能世界の心理』(田中一彦訳)みすず書房
『意味の復権―フォークサイコロジーに向けて』(岡本夏木・仲渡一美・吉村啓子訳)ミネルヴァ書房
『ストーリーの心理学―法・文学・生をむすぶ』(岡本夏木・吉村啓子・添田久美子訳)ミネルヴァ書房