- 菊池道場の価値語録
- 学級経営
菊池実践では、1年間を通して対話・話し合いを重視した指導を行っていきます。教師の一方的な情報伝達に頼る授業ではなく、子どもたちが他者とのかかわりの中で自ら考え、自ら自分の内面を変容させていけるような授業をめざします。では、そのための指導とはどうあるべきなのでしょうか。今回はこうした対話・話し合いによる学びを促す価値語を紹介します。
「なぜ」と「もし」で聞こう
「なぜ」「もし」といった言葉を思い浮かべながら相手の意見を聞くことで、新たな問いが生まれやすくなります。そして、その問いがさらに相手との対話・話し合いを深めます。
相手の意見を聞くとき、「なぜそう言えるのか?」と考えながら聞くことは、相手の意見が論理的に成立しているかどうかを主体的に見極めるための基本的な技術の一つです。「相手の“主張”の裏には“理由”があるはずだ」「“主張”や“理由”を支えるものとしてデータや体験、専門家の言葉といった何らかの“根拠”も存在しているのかもしれない」と考えながら聞くと、相手の意見のよさや不足している部分をより明らかにしながら話し合いを進めていくことができます。
こうした聞き方が定着してくると、たいていどこかで「もし…だったら?」という言葉も聞こえてきます。これは相手の論理が通用しない場合を想定し、そこを補おうとするための質問です。言い換えれば「先を読む」質問です。こうした聞き方の技術は、当然話し方にも影響を与え、仲間と考え合おうとする態度を育てます。
「さんぽ」を楽しもう
対話・話し合いを楽しもうとする態度の一つの象徴が「さんぽ」です。あえて対立する意見をつくることで、他者と話し合い、考え合うことを楽しみましょう。
「さんぽ」とは、複数の立場に分かれて話し合う際に、あえて自分が支持する立場ではない立場に移動して話し合いを行うことを言います。
例えばAとBの立場に分かれて話し合いを行おうとしたとき、どちらかの立場に人が偏ることがあります。そんなとき、教師の「さんぽしたい人はいませんか?」という問いかけに対して、「じゃ、私行きます」と言える子は、立場を変えても自分の意見をつくることができる(つくってみようと思える)ということです。人と意見を区別し、他者との対話・話し合いが楽しいと感じる経験を重ねると、こういった子があらわれはじめます。そのとき、こうした姿を「論理的に物事を考えている(考えようとしている)証拠だ」と捉え、積極的に価値づければ、学級内の対話・話し合いはさらに白熱し、その質を上げていくことができるでしょう。
「いつでも、どこでも、だれとでも学べます」と言える人になろう
話し合うこと・考え合うことの楽しさは「意見のずれや違い」から生まれます。いつでも、どこでも、「自分らしさ」を発揮しながら学び、自分で自分を成長させましょう。
学校生活において登校から下校までが「成長の場」だとするならば、最終的に子どもたちには「いつでも、どこでも、だれとでも仲良くできます、学べます」と言えるくらいの人になってほしいなと思います。しかし、公の意識が低く、学級内の人間関係(土台)も十分に育っていない段階では、1時間の授業の中であっても、普段の仲良し関係から離れられずに“群れている”状況が少なくありません。
例えば、学級がスタートしたばかりの時期に「自由に立ち歩いて話し合うグループをつくってごらん」と指示を出しても、常に決まったメンバーで集まったり、男子と女子がきれいに分かれたりするといった状態が生まれます。本来、他者と話し合うこと・考え合うことの楽しさや必要感は「意見の違いやずれ」から生まれるものですが、それを価値あるものとして十分に実感できていないうちは、“群れ”てしまうのかもしれません。したがって、教師は、子どもたちが他者とコミュニケーションをとることの楽しさを味わえるような手を打ち、その中にあらわれる子どもたちの価値ある姿を取り上げながら、よりよい話し合いのイメージを形づくっていく必要があります。あらゆる時や場で、あらゆる相手から学ぶことの楽しさを味わいながら、自分で自分を成長させていける人間を育てたいものですね。