新教科「日本語」―東京都世田谷区でスタート
朝日新聞5月20日朝刊の記事によると国の教育特区の認定を受けた世田谷区が、この春から「日本語」の授業を区内全小中学校95校で始めた。
果たして「日本語」の授業とは?−自分の考えを論理的に組み立てて分かりやすく表現し、社会で役立つ言語技術を培うのが狙い。専用の教科書で日本文化や表現、哲学を学んでいくというもの。低学年の教科書では鉛筆の持ち方などの初歩的な内容がある一方、漢詩や古典に触れる発展的な内容も含まれる。
小中学校の9年間で特に重点をおく学習は以下の5つ。
(1)語彙(ごい)の習得
(2)古典、漢文、近代の名文、詩などの学習
(3)思考力・表現力の育成
(4)日本文化の理解
(5)国際人としてのマナーの習得
若者の間違った敬語の使い方、表現能力の低下を危惧する声が多い中、学校の授業としての「日本語」は今後も広がっていくのだろうか。または、「国語」の教科書で日本文化や表現といった「日本語」の要素がより重視されていくのかもしれない。
この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
(5)国際人としてのマナーの習得
(4)はグレーとしても(5)は日本語でくくって良いものなんだろうか。
いっそ国語の教科名を「日本語」科にすればいいのに…。
どーでもいいですね…。
余談ですが、「日本は単一民族」という誤解がありますが、アイヌ民族のことを忘れちゃいけません。
はどうでしょう?
というか、どこで区切るかですよね。
現在は同じ民族とされていても大昔は色々な部族に別れていたわけで。
何百年後かにはどういう評価になっているんでしょうかね。
ムリデース。ニホンゴムズカシイネ。
スペインでは自国の言葉をラ・スパニョーラ(スペインの言葉)という。
フランスしかり、ドイツしかり。
中国でも「中国語」、韓国でもハングンマル(韓国語)という。
おそらく、日本の教育だけが「国語」という。
「国語=国の言葉」は200以上あるというのに何故「日本語」と言わないのだろうか?
国史・国学・国文学など同じ発想の用語には「国というのは日本だけ」というナショナリズムの暗示が含まれている。
最後の一文が飛躍しすぎでは・・・。