朝、教師が校門の前で子どもたちに挨拶する―小中学校でよく見られる光景ですが、今では大学でも行われています。9日の読売新聞の記事によると、卒業後、社会人としてしっかりやっていくために大学でマナーや生活態度まで指導する取り組みがあるそうです。
大学生と言えば、以前『分数ができない大学生』(東洋経済新報社)で学力低下した大学生の実態が問題となりました。最近では、「『学士力』で大学全入時代に対応? 中教審が素案示す」でお伝えしたように、簡単に学士号が取れることを懸念し卒業試験を厳しくするような動きまで出ています。しかし実際は、学力の問題以前に挨拶や身だしなみなど生活面にも課題の多い大学生がいるようです。
挨拶という点で考えてみれば、希薄な人間関係に加えて、通りがかりの人に子どもが切りつけられたり誘拐されたりする事件が相次ぎ、安易に人に挨拶したり声をかけないようにと学校や家庭で指導しているとの声も聞きます。このような環境で育った大学生が自ら挨拶ができないのも、しかたのないことのようにも感じます。
だからといって、これが社会で通用するわけではありません。東京ガス都市研究所・紹介業面接者調査(2001年)によると、採用面接の入室時、礼儀・態度・雰囲気・服装に注目していると半分以上の面接官が回答しています。社会に出たら、挨拶ができ身だしなみが整っていることが当たり前。だからこそ、社会に出る前の大学で挨拶を含めた生活指導が求められるようになってきたのでしょう。
大学生が大学で生活指導を受けている一方で、先日公表された中央教育審議会の審議のまとめ(PDF)では、教育再生会議が提案していた道徳の教科化は見送られ、道徳を充実させるという方向にとどまりました。教科化への反対意見としては、規範意識などを授業で教えればいいという発想を懸念する声があったようです。
中教審のいう「道徳の充実」とはどのようなものになるのでしょうか。家庭の教育力が低下していると言われる今、上辺だけにならない規範意識や生活態度を身につけさせる取り組みが求められているように感じます。
- 道徳の教科化見送りへ―中央教育審議会(きょういくじん会議)
http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/kaigi/?id=20070353
大学といったら自由で、大学の職員は事務的な手続きの時だけお世話になるだけで、ほとんど関わりがなかった気がしますが、
いまは、生活指導するまでになっているんですね。
そこまでしなくてはいけなくなったと思うと、なんだか悲しくなります。
そうすると、いずれ出社拒否の社員の自宅を上司が家庭訪問しないといけなくなるわけですね・・・。最近は入社式に保護者同伴なんて話も聞きますが・・・。
会社は出社拒否になったら辞めさせればいいけど、大学は授業料をもらっている以上、そうはいかないのではないでしょうか。
それまでの教育機関で挨拶の指導ができなかっただけだと思います。
そもそも、教員は挨拶ができるんでしょうか?