1.「〜を教える? 〜で教える?」
算数で分数の割り算の授業において、「とにかく割る方をひっくり返してかけたらいい! 覚えとけ!」ということはしません。既習事項や図、絵などを駆使して、その意味や構造をみんなで考えたり、適応問題をしたり、そのわかったことをいかして活動を行ったりもします。なぜそんなことをするのでしょう? できるようになればそれでいいのに……。
この「分数の割り算」の例のみならず、授業では、学習内容をただ習得させるだけでは不十分だと感じているからです。その解決過程における考え方を身につけたり、学習すること自体の楽しさを感じたりすることで、次につながる力、転用できる力を身につけさせたいからです。これは、体育科の学習指導要領にある「生涯にわたって運動に親しむ資質や能力を育てる」と通じることです。
しかし、体育では「できる」ことが優先され、先ほどの例でいう「とにかくやり方を覚えてやれ!」ということになってないでしょうか? 前転の授業で考えてみましょう。前転には、「腰の位置をあげ、両手で着手」「背中を丸めて滑らかに回転」「足を引きつけてお尻をあげる」などのコツがあります。それらをまず伝えることから授業が始まり(それすらもなく、たださせるだけで終わることも)、先生に言われた場や方法で、子どもたちは一生懸命に練習を続け、前転ができるようになることを目指します。
ときには、このような時間も必要かもしれません。しかし、そこに子どもたちの創意工夫や思考はありません。次につながる力や転用できる力を身につけることも期待できません。さらには、毎回このような授業ばかり続けていると、「できる・できない」ばかりがはっきりしていき、体育嫌いを生み出すことにつながりかねません。これは、「前転を教える」授業です。この前転「を」から、前転「で」教える授業に変えていきたいものです。仲間と豊かにかかわりながらみんなでコツを見つけていったり、自分の課題にあった場で練習したり、次につながる技の見通しをもったりできる授業です。「前転」という技術を学ぶのみならず、「前転」という技術を習得する過程で得た学び方やその楽しさを味わうことが、今後の「生涯にわたって運動に親しむこと」につながるのではないでしょうか。
2.体育におけるアクティブ・ラーニング
アクティブ・ラーニングという用語が多くとりあげられるようになりました。これは、主体的な学習を目指し、学習者が能動的に参加できる手だてを取り入れた教授・学習法のことです。具体的には、問題解決学習、体験学習、グループディスカッション、ディベート、グループワークなどを授業の中で取り入れ、受動的な学習から能動的な学習へと授業を変換させることです。学習者が主体的に参加すること=学習者が願いをもつことです(連載第4回記事参照)。当然、体育においても、大事にされなければならない考え方です。
体育は身体活動を中心とした学習ですので、一見すると、主体的に学習に向かっているように見えます。しかし、教師に指示された運動をしているだけ、なんとなくできるようになっただけ、ただみんなでワイワイやっているだけといった授業も往々にして存在します。それは、真の意味で主体的な学習とは言えません。教材や課題に向かって、子どもたち自らが「こんなふうになりたい」「こんなことを楽しみたい」と願いをもち、自らの身体を調整しながら、仲間とともに課題に向かう授業こそが、体育におけるアクティブ・ラーニングといえます。これは、先の述べた「○○を教える」から「○○で教える」へと変換することと同じ方向性です。そして、「○○で教える」ことが、「○○で学ぶ」力をもった子どもたちを育てていくことにつながることを私たちは意識しておかなくてはなりません。
今月の授業投げる活動でアクティブ・ラーニング型の授業をしよう!
体育におけるアクティブ・ラーニングとはどのような授業になるのでしょうか。アクティブ・ラーニングの一つの手法であるジグソー法を取り入れ、「投げることを教える」から「投げることで教える」を志向した1時間の授業展開例で、具体的にみてみましょう。
1時間の展開
1 心と身体をほぐす
赤対白に分かれて、互いの陣地にボールを投げ合う。
2 今日のめあてを知り、本時の学習の見通しをもつ
めあて:いろいろな形のモノをくふうしてとおくになげよう!
「どれが投げやすそうかな?」
「ぼくはあの棒みたいなモノを投げてみたいな」
以下の3つから1つ選ぶ。
ここでは、あえて試技はさせず、見た目で選択させることで、「投げてみたい」と意欲をかきたてる。
3 エキスパートグループで投げ方を考える(エキスパート活動)
「身体のどこを動かすのかな」
「あとでグループのみんなにうまく伝えられるようにしないといけないな」
後で、ここで得たものを原グループに伝えるという目的を伝えることで、より活発に探求活動にむかえるようにする。
4 元のグループに戻り、考えを伝えあう(ジグソー活動)
「タイヤは真ん中をつかんで1回転して投げるといいよ」
「棒は端っこを持ってぐるぐる回るように投げるといいよ」
試技や質疑応答もおこない、お互いの成果を自らの考えと比較し、そのよさを実感させる。
5 モノの違いによる投げ方の共通点や相違点を交流する
「なんか勢いをつけるといいみたいだな」
「どこかをひねると勢いがつくよ」
「持ち方はいろいろあるみたいだな」
仲間の考え方のよさや自分の成果をふりかえり、遠くに投げるために大切なことを考える場とする。
ここ数年、子どもたちの体力は、下げ止まり傾向であると言われていますが、昭和60年頃と比べるとまだまだ低い数値です。「意図をもって運動する機会の減少」が原因の一つではないかと考えています。「投げる」をとってもみても、ドッジボールやろくむしという遊びで、相手に向かって投げる。水面を何回跳ねさせることができるか競うために、石を川に投げる。狭い場所での草野球で、アウトにするために送球する…… 意図をもって、意志をもって投げる機会が、私が子どもの頃にはたくさんありました。
意図をもつということは、目的があります。その目的を果たすために考えます。失敗すれば修正を行い、再び挑戦します。今の子どもたちは、こういった経験が圧倒的に減少しました。これは、ただ投げ方を教えるだけでは解決しません。上記の授業のように、「いま」「ここ」で行われる運動を、子どもたち自身が自分事として感じ、仲間と豊かに関わりながら、思考錯語しながら楽しむことでしか光は見出せないと感じています。学校では、1時間1時間の授業の中で、ただ「できる」のみではない、そんな経験の積み重ねを子どもたちに保証していくことが求められているのではないでしょうか。
教師が、「○○を教える」から「○○で教える」へと意識を少し変えるだけで、授業はまったく違うものになります。運動を楽しむ子どもたちのいきいきした笑顔、その姿を一緒に楽しむ教師の笑顔がもっともっと広がることでしょう。
絶対成功のポイント
- 「できる」のみならず学び方やその楽しさを学習の中心にすべし!
- 「○○を教える」から「○○で教える」で笑顔あふれる授業にせよ!
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- 東大阪 香川
- 2015/12/14 20:54:40
体育は、「感覚を育てること」が大切だから考えさせるより、体を動かして、体で覚えていくものと捉えたり、または、「できない」ことを「できる」ように教えるのが教師の仕事と思い、『とにかくやり方を覚えてやれ!』式の授業が多いように思います。そんな中で「アクティブ・ラーニング」が取り上げられるようになると、体育は、友だちと活動することで『一見すると主体的に学習に向かっているように見えます』ので「協働的で、楽しく主体的に学習」しているように勘違いしがちです。おっしゃっているように「子どもの学び」が乏しい学習は、「アクティブ・ラーニング」ではないですよね。「教科書を教える」のではなく「教科書で学ぶ」と昔から言われているように、「○○を」ではなく「○○で」教える意識と「子どもたちが自ら問題解決していく学び方」と「友だちと共に学んでいく楽しさ」を垣内先生が書いていただいている具体的な実践例をもとに「子どもの学び」を大切にした授業づくりが広がってほしいと願っています。